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春日 昌預(かすが まさやす、1751年3月17日(寛延4年2月20日) - 1836年7月17日(天保7年6月4日))は、江戸時代の町人・歌人。甲府町年寄の「山本金右衛門」と同一人物。通称は助三郎。 == 略歴 == 甲府八日町一丁目(甲府市中央)の商家・若松屋に生まれる。父は二代当主・加藤竹亭(翼)で、竹亭は山県大弐とともに酒折宮(甲府市酒折)に碑文を建立している。昌預は8人兄弟の3男。母は樋貝氏の娘。八日町は「府中一のよき所」甲府勤番士の記した甲斐国地誌『裏見寒話』に記される甲府城下の政治的・経済的中心地で、『甲府買物独案内』に拠れば若松屋は呉服や薬種や香具を扱い、桝屋と並ぶ大店であった〔加藤家資料は山梨県立博物館に寄託〕。生年月日は甲府町年寄相役坂田家御用日記による。 加藤家は『裏見寒話』に断片的な記述があり、竹亭の頃には上層商人であったという。享保9年(1724年)の甲斐一国幕府直轄領化で設置された甲府勤番支配の甲府城下では、商人層を中心に町人文化が栄えた。 昌預の父・竹亭も甲府に本格的な学芸文化を導入した国学者・加賀美光章や五味釜川に学んだ文人でもある。加藤家過去帳に拠れば、加藤家は甲斐武田氏の譜代家老・春日虎綱(通称「高坂昌信」)を先祖と位置づけており、春日姓を名乗っている。若松屋は竹亭の長男・昌融が3代、次男の昌齢が4代、8男の昌標が5代として継承し、昌預の兄弟も紀行文などを残している。 甲府町年寄の御用日記に拠れば、昌預は安永4年(1775年)に甲府柳町(甲府市中央)の山本家の養子となり、町年寄見習となる。山本家には子が無かったため昌預の養子縁組に先立って、山本家の養女を室に迎えている。山本家は坂田家とともに甲府町年寄を世襲し苗字帯刀を許されていた家柄で、はじめ松木氏を名乗り武田氏時代に巨摩郡乙黒村の山本家養子となる。江戸時代には宝永年間から町年寄役を務めている。 御用日記に拠れば、昌子預は天明4年(1784年)に養父の死去に際して甲府町年寄となり、文政13年(1830年)に高齢で退任するまで40年以上に渡り町年寄役を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春日昌預」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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