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春日 毎治(かすが まいじ、1894年(明治27年)1月15日 - 1973年(昭和48年)3月16日)は、日本の政治家。長野県中野市市議会議員・初代中野市市議会議長、長野県地方裁判所飯山支部調停委員長〔『地域を築いた人びと~中野・山ノ内人物風土記~』〕。下高井群繊維組合理事長〔。終戦連絡委員長〔。 昭和29年(1954年)7月1日、1町8村(中野町、平岡村、延徳村、平野村、日野村、高岡村、長岡村、科野村、倭村)が合併して、中野市とする市町村合併協議を中野町町議会議長として先導した〔。合併後の中野市議会議員数は1町8村合わせ総勢149名となり、あまりにも議員が多く合併推進法で認められた1年間の議会任期を4か月に短縮し議員149名の総辞職を決行させた〔。合併後の中野市議会議員数を30名の小選挙区(中野町10名、平岡村4名、延徳村4名、平野村3名、日野村2名、高岡村2名、長岡村2名、科野村2名、倭村1名)として議会運営を行う事と決議した小選挙区制導入に対して、既得権益者の猛反発を受け有権者の約6割にも及ぶ反対署名活動が起こり中野市長は再議権を発動、議会に再考を促したが議会はこれを否決し30名の小選挙区施行を断行した事は英断と賞賛すべきものであった〔『中野市誌 歴史編(後編)』〕。合併の労に報いる形で、昭和29年(1951年)7月5日 長野県中野市市議会の初代議長に満場一致で推挙された〔。長野県下高井郡穂波村佐野(現在の山ノ内町)出身。1911年(明治44年)1月12日オーストリアのテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐により日本に初めてもたらされたスキー術に関して、穂波小学校で教員を行っていた大正元年(1912年)、長野冬季オリンピック、長野冬季パラリンピックが開催された長野県下高井郡山ノ内町で初めてスキー術の指導を行った〔『おくしなの人物風土記』〕〔のが春日毎治この人である。勲六等単光旭日章。 == 経歴 == * 大正元年(1912年)9月 穂波小学校に教員として勤務〔。 * 昭和6年(1931年)長野県下高井郡中野町(現・中野市)中野スキークラブを結成。副会長に就任〔。 * 昭和26年(1951年)長野県下高井郡中野町(現、長野県中野市)町議会の議長に就任〔。 * 昭和29年(1951年)7月5日 長野県中野市市議会の初代議長に就任〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春日毎治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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