|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 春 : [はる] 1. (n-adv,n-t) spring ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 集 : [しゅう] 【名詞】 1. collection ・ 集落 : [しゅうらく] 【名詞】 1. village 2. community 3. settlement 4. town 5. colony (animals, etc.) ・ 落 : [おち] 【名詞】 1. joke punch line
春日集落(かすがしゅうらく)は平戸島(長崎県平戸市)の北西部に位置する集落で、現在の住所表示は平戸市春日町、2012年時点で18世帯70人が暮らしている。いわゆる隠れキリシタンが切り拓いた棚田の景観が、対岸の生月島とともに「平戸島の重要文化的景観」の名称で文化財保護法に基づく重要文化的景観として選定されており、2017年に世界遺産登録審査予定であった長崎の教会群とキリスト教関連遺産の構成資産「平戸島の聖地と集落」の対象でもあるが、世界遺産の推薦は一時取り下げられた。 ==歴史== ===伝播・普及から禁教へ=== 平戸にキリスト教(カトリック)が広まったのは、1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルが来航し布教を始め、領主であった松浦隆信が南蛮貿易のため庇護したことによる。中でも春日集落は松浦氏の家臣でキリシタンになった籠手田安昌・籠手田安経の所領であったため、1558年(弘治4年)より宣教師ガスパル・ヴィレラによって布教が始められた。1561年(永禄4年)にルイス・デ・アルメイダが春日集落を訪れ教会堂を建立したが、その際の様子をイエズス会へ報告した書簡には「春日に到着すると、十字架へ続く道は聖体の行列を待ち受けるときのような有様であった」とある。1565年(永禄8年)には籠手田所領内での一斉改宗もあったが、寺社との確執があり神父を追放。1587年の豊臣秀吉によるバテレン追放令も波及し、平戸各地では〔本来は「兄弟愛」(友愛)を意味し、広義では信者の互助組織。日本では「信心会」「慈悲の組」「拝み講」などと訳され、集落単位の下部組織は(小組)という。フラタニティとソロリティも参照〕を組織し神父不在状態で信仰を維持。1599年(慶長4年)の籠手田一族の追放によって教会堂は失われた〔籠手田一族は長崎の教会群とキリスト教関連遺産の構成資産大野教会堂がある西彼杵半島外海地区の現下大野町界隈へ移住し、潜伏キリシタンになったとされる〕。〔長崎の教会群インフォメーションセンター おらしょ-こころ旅 長崎県世界遺産登録推進課 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春日集落」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|