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春秋園事件(しゅんじゅうえんじけん)は、1932(昭和7)年1月6日に発生した力士の争議事件である。 事件名の由来は、東京府荏原郡大井町(現:東京都品川区大井)〔春秋園事件発生の時点では品川区制が敷かれていなかった(東京市品川区として発足したのは、事件発生から9ヶ月が経過した1932年10月1日)。〕の中華料理店「春秋園」に立てこもったことに由来する。また、主謀者の名前から天竜事件、天竜・大ノ里事件とも呼ばれている。複数の関取が、力士としての地位向上や大日本相撲協会の体質を改善するよう要求して協会を離脱したが、力士側の要求はほぼ受け入れられず、結局多くの離脱した力士が帰参した。 == 経緯 == 1932年1月場所の番付が発表された翌日である1月6日、東京・大井町の中華料理店「春秋園」の大広間「勤王の間」での食事会に出羽海一門の関取と幕下力士1名が呼ばれる。その席において天竜三郎・大ノ里萬助は、大日本相撲協会の改革の必要性を訴え、それを10個の項目(後述)にまとめあげて提出した。協会側は出羽海部屋の先輩にあたる年寄・春日野(元横綱栃木山)と藤島(元横綱常ノ花)を派遣して説得するが、天竜たちは「私情を捨てて」立ち上がったと回答する。その後、何度となく交渉したものの、協会側が提示した回答が要求に応える内容ではないとして決裂し、1月9日に西方の関取全員と複数の幕下力士が大日本相撲協会から脱退した〔この時脱退した幕下以下の力士は大高山十郎・松ノ里直市・出羽湊利吉・武ノ里武三で、その後になって綾錦久五郎・十三錦市松が合流する。〕。 1月12日、大日本相撲協会は2日後に控えた上記番付での春場所開催を無期延期とすることを発表した。同日、新大関・武藏山武が脱盟することを発表(25日に協会へ帰参)。その後、協会と脱退力士との交渉は決裂し、事態を重く見た右翼団体が調停に乗り出すが和解するには至らなかった。1月16日には出羽ヶ嶽文治郎を除く脱退力士が自身の髷を切り落とした。 その後、脱退力士から東方の力士に対しても脱退の勧誘があったことで多くの力士が賛同し、1月26日に伊勢神宮参拝を名目に名古屋へ向かい、協会脱退の方向を示した。このため、幕内の東方力士は11名しか残らなかった。脱退した力士は西方が「新興力士団」、東方が「革新力士団」を結成したが、のちに合併して「大日本相撲連盟」が結成された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春秋園事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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