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昭和三大馬鹿査定(しょうわさんだいばかさてい)と通称されるものは、昭和時代の莫大な税金の無駄遣いを表す比喩表現である。元々は、大蔵省主計局の職場内で使われていた隠語であり、「それに該当する三つが何か」という議論のことではなく、後世にそのような指摘をうけるような事業に予算をつけてはならないという主計官の自戒の言葉である。整備新幹線着工のための予算措置をめぐる駆け引きのなかで、1987年12月23日、翌年度(昭和63年度)の予算原案の大蔵省内示の時、当時の大蔵省主計局の担当主計官であった田谷廣明が、整備新幹線着工に予算をつけることへの反対意見を表明する発言の中で比喩的にこの表現を用い、物議をかもした。 == 背景 == === 国鉄民営化と整備新幹線着工問題 === 臨時行政調査会は巨額に膨れ上がった累積赤字を抱える国鉄を再建するために、「整備新幹線計画は当面見合わせる」と答申した。これを受け、1982年9月24日、整備新幹線計画は凍結、新幹線の建設主体である日本鉄道建設公団も他との統廃合の対象とする、閣議決定がなされた。その後、国鉄は分割民営化される方針で議論が進んだ。1986年10月28日、国鉄改革法案は衆議院で可決され、1987年の分割民営化が決まった。焦点は、民営化に取り残された形となった整備新幹線着工問題であった。整備新幹線を一般会計の枠組みの中で公共事業として行うことが模索された。しかし「整備新幹線を国の予算から出す場合には、運輸省の公共事業費を使ってもらう」というのが大蔵省の一貫した方針だった。 1986年12月29日、強く整備新幹線着工を主張する自民党と政府の間で政治折衝が行われ、整備新幹線について逐次着工するという政治決着をみた。そして、1987年1月30日の閣議において、正式に、「整備新幹線の建設を当面見合わせる」とした閣議決定を解除した。ただし、着工する前提条件として、「分割民営化後の新会社の判断」(原文ママ)と「財政問題、収支見通し」を付帯した〔。この時の整備新幹線の議論をまとめると、以下の点になる。 * 巨額の建設費を、国・地方・JRでどのように負担するのか * 運行を始めた後の営業赤字をどのように避けるのか * 並行在来線をどのように扱うのか 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭和三大馬鹿査定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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