|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 昭和 : [しょうわ] 【名詞】 1. Japanese emperor (1926-1989) ・ 和 : [わ] 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace ・ 南 : [みなみ] 1. (n,vs) South 2. proceeding south ・ 南海 : [なんかい] 【名詞】 1. southern sea ・ 地 : [ち] 1. (n,n-suf) earth ・ 地震 : [じしん] 【名詞】 1. earthquake
昭和南海地震(しょうわなんかいじしん)は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ 24 kmを震源とした''M''8.0(''M''w8.4)の地震である。1946年南海地震とも呼ばれ、単に南海地震といえばこの地震を指すことも多い〔気象庁 過去の地震・津波被害〕。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。 == 概要 == この領域では周期的に大地震(詳細は南海地震参照)が発生しており、前回の南海地震である安政南海地震から92年ぶりでの発生となった。また、この地震の2年前である1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震も起きている。その地震後に今村明恒は「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道に跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していたが、当時これに耳を傾けるものはいなかった〔今村明恒(1944) 今村明恒(1944):「遠州沖大地震所感」, 『地震』1, 16, 299-303.〕〔『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』「1944東南海地震・1945三河地震」 2007年中央防災会議 〕。 1940年代半ばの日本ではこの他にも1943年の鳥取地震、1945年の三河地震といったいずれも死者数1000人以上を出している大きな地震が相次いでおり、これらの地震は太平洋戦争終戦前後における「4大地震」ともされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭和南海地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|