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昭和天皇誤導事件(しょうわてんのうごどうじけん)は、1934年(昭和9年)に群馬県で行われた陸軍大演習において、視察に訪れた昭和天皇一行の先導をしていた警部が緊張のあまり道を誤ってしまい、一時天皇一行が行方不明になったと大騒ぎになった警察の失態事件。前代未聞の事態であったため関係者が処分されたが、先導していた警部の1人が責任を取って自決を図った。昭和天皇一行行方不明事件、桐生鹵簿誤導事件とも呼ぶ(「鹵簿(ろぼ)」は行幸の行列のこと)。 == 経緯 == 1934年(昭和9年)11月16日、昭和天皇臨席のもと陸軍大演習が群馬県の高崎練兵場で行われた。観兵式に出席した後、昭和天皇一行が群馬県桐生市を視察することになっていた。予定された視察順序は「桐生駅 - 桐生西小 - 桐生高工」となっていた。地元住民は「現人神」である天皇を迎えるために1年前から予行演習を重ねており、出迎える際はひざまづくようにと指示されていた。こうした非日常の光景の中、先導役の本多重平警部(当時42歳)は、左折すべき末広町交差点を直進する過失を犯してしまった。そのため、視察の順序は桐生高工 - 桐生西小と全く逆になり、先に昭和天皇が訪問するはずだった桐生西小では、天皇御一行が行方不明になったと大騒ぎになった。 順序を間違った原因であるが、前日緊張の中、昭和天皇一行を本多警部は前橋市で先導していたところ、桐生市においての先導役の予定であった者が体調不良で辞退したため、代役で行ったものであった。そのため本多警部は、事前の下見を行っていなかった桐生市内でも先導することになった。しかし、昭和天皇を歓迎するための群衆で賑わう沿道の光景から、非日常の世界が広がっていたため幻惑され、予定で曲がるはずだった交差点では、先導者の運転手をはじめ、本多警部ももう1人の警部も、直進して当然だと思ったという。そのため、先導車の運転手が間違いに気付いたのはかなり後になってからであり、天皇一行の車も近づいており引き返せないため、本多警部は直進を命令したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭和天皇誤導事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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