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昭憲王后沈氏(しょうけんおうこうちんし/ソホンワンフ・シムシ、洪武28年9月28日(1395年10月12日) - 正統11年3月24日(1446年4月19日))は李氏朝鮮第4代王・世宗の妃。本貫は青松沈氏。 == 生涯 == 昭憲王后は京畿道揚州の名門の一員で、のちの領議政沈温(シム・オン)の娘として生まれ、13歳で第3代王・太宗の3男、忠寧大君と結婚し8男4女を儲けた。名門の出身にふさわしい温和な性格で品行方正であった。本来、王族の一夫人として生涯を送るはずであったが譲寧大君が品行不良で王世子を廃位され、夫の忠寧大君が世子に昇格、沈氏は世子嬪となった。1418年、太宗の譲位で世宗が即位し王妃となる。しかし上王となった太宗は外戚を警戒し、父をはじめ一族の多くが処刑され、母は奴婢に転落させられ一族は没落された。彼女自身も廃位される危機にさらされたが、世宗の懇願と彼女が子を多く産んだ功績で不問に付された。父母の名誉はのちに回復された。以後、世宗とは良好な関係を保ち、1446年に数え年の52歳で薨去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭憲王后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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