翻訳と辞書
Words near each other
・ 昭烈穆皇后
・ 昭烈蕭皇后
・ 昭然
・ 昭献皇后
・ 昭献貴妃
・ 昭王
・ 昭王 (周)
・ 昭王 (楚)
・ 昭王 (燕)
・ 昭登親王
昭皇
・ 昭皇帝
・ 昭礼可汗
・ 昭節貴妃
・ 昭統
・ 昭義県
・ 昭聖王
・ 昭英高等学校
・ 昭蘇
・ 昭蘇県


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

昭皇 ( リダイレクト:李昭皇 ) : ウィキペディア日本語版
李昭皇[りしょうこう]

李昭皇(りしょうこう、Lý Chiêu Hoàng, 1218年 - 1278年、在位:1224年 - 1225年)は、李朝の第9代皇帝ベトナムで唯一の女帝といわれる。第8代皇帝恵宗の次女で、陳朝の初代皇帝太宗の皇后。佛金(仏金)または天馨だが、姓とを合わせた李昭皇の名で呼ばれることが多い。
1224年、父の恵宗が陳守度によって皇位を廃されると、その後釜としてわずか7歳で擁立されることとなった。翌1225年、陳守度の政略によって恵宗は自殺に追い込まれ、陳守度の甥に当たる太宗と結婚することを余儀なくされる。こうして皇位を夫に禅譲することを余儀なくされ、李朝は完全に滅亡した。なお、李朝の皇族は、この昭皇とその姉順天皇后を除いて、全て陳守度によって殺害されている。
そして李昭皇も1237年、太宗との間に実子が生まれないことを理由に離別させられた。太宗はその後、陳守度の策動で、自分の兄・陳柳に嫁いでいた昭皇の姉・順天を強引に離婚させ、皇后として迎えている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李昭皇」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.