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昭襄王(しょうじょうおう)は、中国戦国時代・秦の第28代君主、第3代の王。姓は嬴(えい)、諱は稷(しょく)。孝文王 (柱)(安国君)の父。始皇帝(政)の曾祖父。昭王とも呼ばれる。 ==生涯== ===即位=== 紀元前306年 、異母兄の武王が孟説という大力の持ち主と鼎の挙げ比べを行って、脛骨を折って死んだ。武王に子がいないまま急逝したために後継者争いが起こった。 公子稷は当時燕にいたが、趙の武霊王の計らいで、代郡の宰相の趙固によって燕から趙に迎え入れ秦に送り届けられた。秦では群臣のほとんどが反対するなか、魏冄(魏冉)らの支援により、異母兄である武王の後を継いで王として即位した。 即位した公子稷は死後昭襄王と呼ばれるので、この項でも以後は昭襄王で通す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭襄王 (秦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 King Zhaoxiang of Qin 」があります。 スポンサード リンク
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