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時代世話二挺鼓 : ミニ英和和英辞書
時代世話二挺鼓[じだいせわにちょうつづみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
時代 : [じだい]
  1. (n-t) period 2. epoch 3. era 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世話 : [せわ]
  1. (n,vs) looking after 2. help 3. aid 4. assistance 
: [はなし]
  1. (io) (n) talk 2. speech 3. chat 4. story 5. conversation 
: [に]
  1. (num) two 
: [ちょう]
 (n-t) counter for guns, inksticks, palanquins, jinrikisha
: [つづみ]
 【名詞】 1. hand drum 

時代世話二挺鼓 : ウィキペディア日本語版
時代世話二挺鼓[じだいせわにちょうつづみ]
時代世話二挺鼓』(じだいせわにちょうつづみ)は、江戸時代中期の文学作品。山東京伝黄表紙の代表的な作品。3冊。発刊は1788年(天明8年)。京伝27歳の作品。
挿絵は喜多川行麿作。版元は蔦屋重三郎
==あらすじ==

=== 上巻 ===
草双紙作者に京伝という者がいる。毎年版元から新作の趣向を考えるようにせっつかれるたびに、「出来るなら自分の身体が二つも三つもあれば様々な趣向を考えられるのに」と思った。伝え聞くところによると、親王平将門は身体が7つあったという。7人で稼いだらさぞ遣り繰り算段が楽だろうとは思うが、金の使い手も7人になるのだから結局同じこと。世の中には思い通りになることはないもんだ。京橋の伝蔵(京伝のこと)が工夫する草双紙と言えばそもそも、などと言いたい所だが字ばかり多くなってしまう〔黄表紙は大人向けの絵本といわれる程に挿絵が本文同様に重要な役割を果たしている。挿絵と本文を並行して味わうところは現在の漫画と同様である。したがって挿絵と本文のバランスには大変気を使った。〕から黙ることにしよう。この黄表紙に女の登場人物がいないのは具合が悪いので、やむを得ずこの場面で黒鳶式部(京伝の妹)を道具として使い兄妹絵人形の挿絵を載せることにした。妹「わたしも無駄な洒落ひとつも言いたいが、ここは黙っていましょう」
第61代朱雀天皇の時代の天慶年間に、平将門が東国で猛威を振るい人民がこれを嘆いていることが朝廷に伝わったので、藤原秀郷が勅命をうけ討手として東国に向かった。公卿甲「どうか将門をぶちのめしておくれ」秀郷「委細承知仕りました。天皇様がこんなことおっしゃるときは何とあいさつするか知らねえし」公卿乙「貴様は俵通太(秀郷の通称俵藤太のもじり。当時流行の通に掛けた)という名と承ったが、近頃俵屋(吉原の妓楼)の吉野(遊女)はどうしているかの。吉野は相変わらず全盛かの」公卿丙「これ秀坊(秀郷のこと)、近頃たびたび天皇様からのお使者がそちの所へ参ったがそちが留守がちだったのは、さだめし居続け(遊里などで、何日も遊んで家へ帰らないこと)していたのであろう。松葉屋か丁子屋か、玉屋か扇屋か、あるいはちょっとひねって深川あたりの尾花屋あたりで居続けかの。俺の家来から言付けを聞いてないか」秀郷「自分は秀郷とは申しますが、里(田舎くさい)っぽくない男さ」
平将門は王位をねらい、東国に内裏を移して岡場所内裏〔私娼屋の集まった非公認の遊里が岡場所だから、岡場所内裏とは公認されていない内裏という意味。〕と名づけ、紫宸殿・清涼殿を真似て尾花殿・梅本殿〔尾花屋・梅本は深川にあった当時一流の茶屋。〕などをこしらえた。そして公卿の替え玉を召抱えて狂歌師のような名を名乗らせたが、現在、「東百官」といって手習いで習うのはこの名である。秀郷は一計を案じて家来を皆後ろの山の中に忍ばせて、自分ひとりで将門と対面した。秀郷「親王様(将門のこと)は早業の名人と承ります。わたくしも少しばかり自信がありますので、ここで早業比べをして、もしわたくしが負けましたらお味方につくことといたしましょう。親王様がお負けなすったら、この内裏をぶっつぶして帰ることにしようではありませんか」将門「そいつはよかろう。お前が負けたときにぐずぐず文句を言わないようにしろよ」(公卿の替え玉が2人でてきて)替え玉甲「われら両人は俵曲持(たわらのきょくもち。俵を使った曲芸という意味)と借上上塗(かりのうえのうはぬり。恥の上塗りと掛けている)と申します。以後、お見知りおきくださいませ」替え玉乙「近頃評判の俵藤太とはお前のことか。わしはこんにゃく島(霊岸島の埋立地の俗称)の通人で名を南鐐の御大臣〔南鐐二朱銀は安永元年から通用した銀貨で一両の八分の一の二朱の価値をもっていた。霊岸島の娼婦の代金は二朱だから南鐐二朱銀1枚で買える。安上がりな遊びをしながら大臣ぶるという皮肉〕と申す。以後、お見知りおきくだされ」秀郷「どいつも皆変な名だ。大文字屋〔大文字屋市兵衛は吉原の狂歌グループの中心で狂名は加保茶元成。したがって吉原の狂歌連中の名前が帳場にでも張ってあったのかもしれない。〕の帳場の塗り札にあるような名だ」
将門は、早業に負けたら味方になろうという秀郷の話を本当と思い、自分の早業を見せようとして1人で7人前のを作ってみせた。人には見えないが6人の将門の分身も後ろで手伝う。将門「どうだ、たいしたものだろう。これだったら仕出屋の料理番でもつとまるだろう」そのとき秀郷少しも騒がず、懐中より神明前のなこ屋で買った早業8人前(野菜千切り器)を取り出して、あっという間に8人前の膾をこしらえた。将門より1人前多いので将門の面目を失わせることができた。秀郷「わたくしの料理はあなた様のように出刃包丁は使いませぬ。出刃包丁は博打場の喧嘩に振り回すものさ。大根(細工)はりゅうりゅう仕上げをごろうじろ」
将門は料理には負けたけれど遊芸では負けるものかと七変化の所作〔歌舞伎の所作で、1つの舞台で順に7つの役に扮して踊るもの〕をしてみせた。将門「秀鶴に杜若〔秀鶴は中村仲蔵の俳名、杜若は岩井半四郎の俳名。いずれも変化所作事で当時好評を博していた。〕を兼ねた身ぶり(歌舞伎役者の演技をまねる大衆芸能)はたいしたものだろう」(ここのところは「大出来ぬ、大出来ぬ」〔芝居の評判記では、高評価は大出来といったので、大出来の反対と皮肉った。〕と書きたいところだ。)秀郷「あまり自惚れたことを言いなさんな。女郎に振られたいのかい(自惚れ客はとかく女郎に振られる)
将門が七変化の所作をやって得意満面となっていたので、秀郷はかねって習っていた1人で8人前の楽器を鳴らす芸を見せ付けた。ちんつん、チャンチャントントンピイラリヒャウ。将門「なるほど器用な奴だ。また1人前分負けた。ちょ、いまいましい」

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「時代世話二挺鼓」の詳細全文を読む




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