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時津海正博 : ミニ英和和英辞書
時津海正博[ときつうみ まさひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

時津海正博 : ウィキペディア日本語版
時津海正博[ときつうみ まさひろ]

時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 - )は、長崎県福江市(現・五島市)の出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は坂本 正博(さかもと まさひろ)。東京農業大学卒業。最高位は東前頭3枚目(2001年11月場所)。身長184cm、体重137kg。得意手は右四つ・寄り。趣味は釣り。現在は年寄時津風血液型はA型、星座は蠍座。
== 人物 ==
農家の二男に生まれ、父の影響で2・3歳位の時から宮相撲に出場した。小学校では野球、中学校では柔道をやっていたが、部員が足りず休部状態に陥っていた相撲部を再興し、自宅の倉庫を稽古場に改造し、相撲を続けた。長崎県立諫早農業高等学校では相撲に専念し、東京農業大学でも活躍した。しかし、4年生の時は企業に就職しようと考え、印刷会社の試験に合格し、また父からアマチュア相撲の強豪である和歌山県庁への就職も勧められたが、アマチュアよりプロで取る方がいいという本人の意志で時津風部屋に入門。1996年3月場所、幕下付出初土俵
1998年9月場所新入幕。以降は主に幕内中位で活躍し、2005年5月場所まで41場所連続で幕内の地位を維持し続けた。2001年から2003年あたりが全盛期で、この間に3度の技能賞を受賞、2003年7月場所の11日目には大関栃東を破り単独トップに立つ活躍も見せた。幕内中位で勝ち越すことが何度もあったが最高位は前頭3枚目と、番付運がなかった〔前頭4枚目で9勝しながら1枚しか上がらない等。〕。また、大関昇進前ではあるが琴光喜に強く、5勝3敗と勝ち越している。右四つ左上手での理詰めの相撲は好角家をうならせたが、2005年5月場所は西前頭12枚目で3勝12敗と大負けし、翌7月場所は1998年7月場所以来、42場所ぶりに十両に陥落した。以後は怪我もあって十両に落ちることが増え、幕内下位に低迷した。それでも2005年7月には2度目の十両優勝を果たし、2006年1月場所では14日目に白鵬に敗れるまで優勝争いに加わる活躍で12勝3敗と大勝して4回目の技能賞を獲得し、西前頭14枚目という史上最も低い地位での三役揃い踏みを経験するなど長く地力を保ち続けた。
しかし2007年10月9日、同年6月に発生した時津風部屋力士暴行死事件を受け、日本相撲協会より解雇された師匠で15代時津風親方こと山本順一の後継として部屋を継承するために急遽現役引退することとなり、日本相撲協会に引退届および年寄時津風襲名届を提出した。時津海自身は「まだ燃え尽きていない」と現役へのこだわりがあったが、今回の新弟子死亡事件からの出直しを図るため、14代時津風(豊山勝男=入門時の師匠)を始めとする関係者の説得を受け入れ、16代時津風となり、部屋の師匠として名門復活に全力を注ぐこととなった。〔時津海、引退で時津風襲名 産経新聞 2007年10月6日閲覧〕
なお、時津海の引退と年寄襲名により、日本相撲協会は2007年11月場所番付において、引退した時津海が位置する予定であった西前頭11枚目を空位にするという措置を取った。これは時津海が年寄時津風として番付に掲載されることにより、番付上の重複を避けるためである。幕内の番付で空位が発生した事態は、1873年(明治6年)11月に当時の東京相撲の関脇だった小柳常吉ら以来(この時は力士名を墨で塗りつぶした)、実に134年ぶりという珍事となった。〔その後、2008年8月19日若ノ鵬が大麻所持で逮捕されたため、2008年9月場所に彼の四股名が掲載される予定だった東前頭8枚目が空位となった。〕
また時津海が時津風を襲名するにあたり、自身が取得していた年寄・錦島株を弟弟子の霜鳳に譲渡した。
現役時代の時津海はしばしば「相撲巧者」として紹介された。右四つでの寄りが持ち味。左上手を取れれば引き付けが効き、出し投げ、ひねりもあり、特に強かった。また、廻しを切る技術も秀逸だった。さらには差し手を殺すことも上手く、けんか四つの相手でも勝つことができるというところがあった。しかし元々組めないともろく、突き押し相撲相手には苦戦した。晩年には足腰の衰えが顕著になり、すぐに腰が立って足が流れたり吹っ飛ばされたりすることも目立った。四つ身での技術では同世代の力士の中でもトップクラスだったが、数々のもろさが災いして三役にはついに上がれなかった。
先代こと山本が解雇されたちょうど1年後の2008年10月5日両国国技館において引退相撲を執り行い、断髪式で髷に別れを告げた(留め鋏は14代時津風が入れた)。式典後、時津海の16代時津風は昨年の不祥事を改めて謝罪した後、「新生時津風部屋を良い方向へ行くように頑張りたい」と抱負を語った。〔断髪式で異例の陳謝 時津風親方 産経新聞 2008年10月5日閲覧〕
2010年6月18日、大相撲における野球賭博の問題で、日本相撲協会に対し豊ノ島と共に賭博をしていた事実を認めていたことが報道された〔「時津風親方も野球賭博認める 豪栄道、豊響も」 朝日新聞 2010年6月18日〕。これを受けて日本相撲協会は主任から最下位の平年寄への1階級降格と5年間の昇格見送りの処分を下した。
2011年3月大相撲八百長問題に関与し、引退勧告処分となった霜鳳典雄の監督不行き届きにて昇格見送り3年の処分を受けた。野球賭博問題での5年間昇格見送りと合わせて合計8年間の処分となったことになる。霜鳳の処分に関しては「納得はしていない。思いはみんな一緒だ」としている。〔土俵去る八百長関与力士、無念の表情  サンケイスポーツ 2011年4月5日〕2014年の役員改選と同時に行われた新たな職務分掌では当初の方針より早く昇格停止処分が解除された形で主任に再昇格し、2015年1月29日付で委員に昇格している〔[〕。2016年3月30日現在で、協会の職務では審判部の所属になっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「時津海正博」の詳細全文を読む




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