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晏嬰[あん えい]
晏 嬰(あん えい、? - 紀元前500年)は、中国春秋時代の斉の政治家。氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人〔『史記』「管晏列伝」〕。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。 ==略歴== 『史記』「管晏列伝」によると、晏嬰は身長が「6尺(周代の1尺は22.5cm 。135cm)に満たず」であった。しかし小さな体に大きな勇気を備え、常に社稷(国家)を第一に考えて上を恐れず諫言を行い、人民に絶大な人気を誇り、君主も彼を憚った。また質素を心がけ、肉が食卓に出ることが稀だった。狐の毛皮を仕立てた一枚きりの服を、三十年も着ていたという〔狐裘。腋の下の白い毛皮だけを使った高級な上着で、その着用を許された少師、少傅、少保(三公の直下の位)を『三狐』(三少を参照)と総称する由来となった。『礼記』「檀弓下」〕。その生活ぶりは、倹約さを示す故事成語「三十年一狐裘」「豚肩豆を掩わず」〔豆」とは木製の高杯のこと。先祖供養に使う豚肉すら器を覆わないほどの少なさだったという意味〕として、後世に残った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「晏嬰」の詳細全文を読む
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