|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point
晴山 さおり(はれやま さおり、1992年時点の本名:晴山 里織(読み方同じ)、1972年10月10日 - )は、1990年代前半に活躍していた演歌歌手。神奈川県出身。血液型はO型、身長164cm、体重49kg、神奈川県立大和西高等学校出身。レコードレーベルはビクター音楽産業、所属事務所は第一プロダクションである。〔『タレント名簿録』(1993年~1994年版) 発行:「連合通信社、音楽専科社」 閲覧。〕 == 概歴 == 小学生時にビクター少年民謡会に参加(長山洋子は先輩に当たる)。1988年、NHKのど自慢に出場し、歌謡曲の部グランドチャンピオンを受賞。1989年、16歳の時にNHK『みんなのうた』で『一円玉の旅がらす』を歌い、CDとカセットを合わせて65万枚(1991年9月時点)〔「みんなのうた ヒットと意外な反響生む5分間」『朝日新聞』1991年9月18日付朝刊、29頁。〕の大ヒットとなる。この曲で11もの新人賞を総ナメにした〔。 当初はこぶしを強く効かせた純演歌の歌唱法であったが、2ndアルバムからは子供向け音楽を意識したポップスな曲調に転向。しかし1992年を最後にCDリリースが途絶えた。 1995年5月、ビクターから秋元康プロデュースにより「浜崎章子」に改名し事実上の再デビューを果たす。“浜田省吾から影響を受けた22歳〔晴山さおりのプロフィールを基にすれば当時22歳である。〕のシンガーソングライター”の触れ込みで、演歌歌手から脱却しガールポップを意識したロック調の楽曲でシングル2枚・アルバム1枚をリリースしたが、再びリリースが途絶えた。 その後は、演歌歌手・晴山さおりではなく浜崎章子のまま、2005年頃まで有限会社オフィス・ホッパーズに所属し、ライブハウスでステージボーカリストとして活動していた。 2006年以降は活動実績が無く、事実上の引退状態となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「晴山さおり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|