|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
『智恵子抄』(ちえこしょう)は、詩人の高村光太郎が1941年に龍星閣から出版した詩集である。 == 作品概要 == 1914年に処女詩集『道程』が出版されて以降、『現代日本詩集』(改造社、1929年)などの詩華集に未刊詩が多数収録されることはあったものの、高村単独による詩集の計画は長らく実現しなかった。1940年に出版された改訂版『道程』を除くと、『智恵子抄』は2冊目の詩集にあたる。 智恵子とは妻の高村智恵子のことであり、彼女と結婚する以前(1911年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されている。戦後、さまざまな出版社から同名の詩集が出ており、それらには最初の版の刊行後に書かれた作品や、その版に未収録のものも収められている。 以下の2冊は、光太郎が直接関わったものである。 * 『智恵子抄』(白玉書房、1947年) - 龍星閣が休業していたため、版元を替えて出版。戦後に書かれた「松庵寺」「報告」の2篇を追加。 * 『智恵子抄その後』(龍星閣、1950年) - 出版業を再開した龍星閣代表は、白玉書房版『智恵子抄』出版後に書かれた「智恵子抄その後」という6篇の詩群に注目し、これを軸に出版を決意する。智恵子に関わりの薄い文章も含めて、1冊の詩文集を構成した。出版に乗り気でなかった詩人も、本書籍のあとがきによれば、版元の「熱意に動かされ」るかたちで認めることにしたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「智恵子抄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|