翻訳と辞書
Words near each other
・ 智恵蔵
・ 智恵袋
・ 智慧
・ 智慧の館
・ 智慮
・ 智慶院
・ 智成親王
・ 智日
・ 智明大権現
・ 智明権現
智月尼
・ 智有蔵上人
・ 智本光隆
・ 智杖
・ 智東駅
・ 智樹 (小惑星)
・ 智武子
・ 智歯
・ 智歯(第3大臼歯、おやしらず)
・ 智歯周囲炎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

智月尼 : ミニ英和和英辞書
智月尼[あま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
: [あま]
 【名詞】 1. (col) nun 2. bitch 

智月尼 ( リダイレクト:河合智月 ) : ウィキペディア日本語版
河合智月[かわい ちげつ]
河合 智月(かわい ちげつ、寛永10年(1633年)頃 - 享保3年3月1718年4月))は、江戸時代初期の女流俳人近江蕉門智月尼とも呼ばれる。京都に生まれ近江国に住む。
== 生涯 ==
寛永10年(1633年)頃、山城国(現・京都府)宇佐に生まれ大津の伝馬役兼問屋役河合佐右衛門に嫁いだ〔「朝日日本歴史人物事典」(朝日新聞出版 1994年)〕。貞享3年(1686年)頃夫と死別し尼となり、後に自身の弟乙州を河合家の養嗣子とした〔。蕉門きっての女流俳人として知られる。
元禄2年(1689年)12月から松尾芭蕉を自宅に迎える機会が多く、元禄4年(1691年)には東下する芭蕉から「幻住庵記」を形見に贈られた〔。智月は膳所滞在中の芭蕉の身辺の面倒を見た。芭蕉がよく湖南方面へ出かけたたのは、智月を始めとする暖かく芭蕉を迎える近江蕉門の存在があったためと思われる。
「ある日智月は芭蕉に句を記念にしたいので請うた。芭蕉は遺句を請われたことに苦笑したが、その求めに応じた。その年、元禄7年10月12日1694年11月28日)に芭蕉が亡くなったことから、門人は奇異を感じた。」とのエピソードが残っている〔「俳諧名家列伝」(籾山鈞著 博文館 1893年)〕〔「近江人物伝」P209 「智月尼」の項(弘文堂書店 1976年)〕。芭蕉の葬儀に際しては智月と養嗣子乙州の妻とが芭蕉の浄着を縫った〔 。享保3年3月(1718年4月)智月は死去した。
森川許六は俳諧問答においてその作風を「乙州よりまさる」と評しながら、「五色の内、ただ一色を染め出だせり」と単調な点を指摘した〔 なお乙州も芭蕉に師事し、後に芭蕉より「梅若菜 鞠子の宿の とろろ汁」の餞別句を送られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河合智月」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.