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智満寺の十本スギ : ミニ英和和英辞書
智満寺の十本スギ[ちまんじのじゅっぽんすぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
十本 : [じゅっぽん]
 【形容詞】 ten (long cylindrical things)
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

智満寺の十本スギ : ウィキペディア日本語版
智満寺の十本スギ[ちまんじのじゅっぽんすぎ]
智満寺の十本スギ(ちまんじのじゅっぽんスギ)は、静岡県島田市千葉の千葉山山中に散在するスギ(杉)の巨木10本の総称である〔智満寺の十本スギ 文化遺産オンライン、2013年12月8日閲覧。〕〔『天然記念物事典』、113頁。〕〔『日本の天然記念物5』、145-147頁。〕。千葉山の山中にある智満寺(天台宗)の開山や再建などの際に植栽されたものとの言い伝えがあり、推定の樹齢は1200年(開山スギ)、850年以上(他の9本)といわれる〔〔牧野(1988)、136-138頁。〕。1962年(昭和37年)に10本一括で国の天然記念物に指定されたが、指定後に「開山スギ」と「子持スギ」の2本が枯死している〔〔『自然紀行 日本の天然記念物』 193頁。〕〔高橋(2009)、78-80頁。〕〔高橋(2008)、60頁。〕。2012年(平成24年)9月、残る8本のうち「頼朝スギ」の倒木が報道された〔倒木の国の天然記念物「頼朝杉」が仏像に 静岡空港シティニュース、2013年12月15日閲覧。〕〔杉が日本を救う/第6回 「弥勒菩薩座像になる頼朝杉の話」 月刊杉 web版、2013年12月15日閲覧。〕〔高橋(2014)、66-67頁。〕。
== 由来 ==
名称に冠されている「智満寺」は、島田市街地の北方約7キロメートルに位置する千葉山(標高468メートル)の山中、標高約350メートルのところにある天台宗の寺院で、山号を「千葉山」という〔静岡県榛原郡川根本町にも、同じく「千葉山智満寺」という名の寺院がある。こちらは平安時代の創建と伝えられ、曹洞宗の寺院である。〕〔〔〔〔智満寺 静岡県総合教育センターウェブサイト、2013年12月15日閲覧。〕。寺伝によれば奈良時代宝亀2年(771年)に下野国の広智がこの地に草庵を結んだのが始まりとされる〔〔〔。広智は鑑真の法孫にあたる人物で、平安時代以降のこの寺院は修験道の霊場である山岳寺院として栄えた〔〔。源頼朝を始め、今川氏徳川氏など有力な武将の信仰が厚い寺院であり、源頼朝は下総国の豪族、千葉常胤に命じて本堂を再建した〔〔〔牧野(1990)、120-121頁。〕。寺所蔵の文書によれば、徳川家康は天正13年(1585年)、智満寺の寺領を安堵している〔『日本歴史地名大系 静岡県の地名』(平凡社、2000)、p.714〕。現存する本堂は、棟札の記載により天正17年(1589年)の建立であることが判明し、1966年に国の重要文化財に指定されている〔『解説版新指定重要文化財 11 建造物I』(毎日新聞社、1981)、pp.106 - 107〕〔智満寺本堂附本尊千手観音厨子 島田市博物館ウェブサイト、2013年12月16日閲覧。〕。
千葉山の山中には、10本の大きなスギの木が点在していた。10本の木にはそれぞれ名称がつけられ、総称して「十本スギ」と呼ばれていた〔〔智満寺の十本スギ 島田市博物館ウェブサイト、2013年12月16日閲覧。〕。10本の名称は、次のとおりである。
* 頼朝スギ(よりともスギ)
* 子持スギ(こもちスギ)
* 開山スギ(かいざんスギ)
* 大スギ(おおスギ)
* 達磨スギ(だるまスギ)
* 雷スギ(かみなりスギ)
* 常胤スギ(つねたねスギ)
* 経師スギ(つねもろスギ、またはきょうじスギ)
* 一本スギ(いっぽんスギ)
* 盛相スギ(もっそうスギ)〔〔〔〔
樹齢について、「開山スギ」は智満寺を開山した広智が771年(宝亀2年)に手植えしたものとの伝承があり、およそ1200年とされていた〔〔〔。他の9本は源頼朝の命によって下総国の豪族、千葉常胤が普請奉行となって本堂を再建したときに植えられたと伝えられ、850年以上の樹齢と推定されている〔〔。「頼朝スギ」と「常胤スギ」は、それぞれ源頼朝と千葉常胤の手植えといわれる〔〔。
太さが最大だったのは「開山スギ」で、目通り幹囲〔人間の目の高さ付近で測った樹木の幹まわりの寸法を指す。〕11メートル、樹高は36メートルを測った〔〔『自然紀行 日本の天然記念物』 193頁。〕。樹高が最大なのは「一本スギ」で、45メートルあった〔〔。その他のスギも、樹高が25メートルから40メートル、幹囲は8メートルから10メートルあり、いずれも巨木揃いである〔〔。
明治時代、十本スギは伐採の危機に直面した。それは、安倍川の架橋用材としてこのスギを使おうという計画が持ち上がったためであった〔〔。当時の智満寺の住職はこの計画に猛反対し、架橋計画の説明にやってきた中央政府の役人にそれぞれの木にまつわる由来を説き、ついに用材としての伐採を断念させたといういきさつを持つ〔〔。
それぞれのスギは千葉山の山中に点在しているため、すべてのスギを見て回るには往復で3時間程度を要する〔。十本スギは1962年(昭和37年)6月29日に、「いずれも大木としてすぐれているばかりでなく、この種スギの巨樹群として類例の稀なものである。」として国の天然記念物に指定された〔〔。ただし、奥の院にあった「開山スギ」と、「子持スギ」の2本は既に枯死している〔〔〔。「子持スギ」は業者に引き渡されたが、山中の不便なところに生育していた「開山スギ」はそのままにされ、根元部分のみが残っているという〔〔渡辺、182頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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