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智雲院 : ミニ英和和英辞書
智雲院[ちうんいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くも]
 cloud

智雲院 : ウィキペディア日本語版
智雲院[ちうんいん]
智雲院(ちうんいん、生年不詳 ‐ 元和8年(1622年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性で、豊臣秀長正室大和国出身で法華寺の興俊尼という比丘尼であったと伝わる。名はお藤で、後に光秀尼と言われていた。父は秋篠伝左衛門
天正13年から14年ごろに秀長に嫁いだ。秀長が法華寺の尼であった、興俊尼に惚れた。子を懐妊した興俊尼は寺に留まれず、菊田邸でにて大善院(きくという説もあり)を出産。秀長は独身であったため正室に迎えた。秀長に嫁ぐ際に、還俗しお藤となる。秀長との間には1男2女を儲けた。長男・小一郎は早世し、長女は毛利秀元の正室となった大善院、次女は豊臣秀保の正室となったきく。秀長の没後には興福院・中興開基より第二世のを務めた。これらの縁により、義兄に当たる豊臣秀吉は寺領200石を寄進した。元和8年(1622年)に死去。
大徳寺の塔頭・大光院の秀長の墓の隣に葬られている女性(養春院古仙慶寿大姉)は別人である。この女性は秀長にゆかりの女性であるとわかるが、智雲院と別人であり、もとは織田信長の側室であったと考えられる。後に、秀長の側室となったとも。
== 登場作品 ==

*『おんな太閤記』(1981年NHK大河ドラマ、演:田中好子(しの 役))
* 『江~姫たちの戦国~』(2011年NHK大河ドラマ、演:柴垣亜希

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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