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曲直瀬正琳 : ミニ英和和英辞書
曲直瀬正琳[まなせ まさよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
曲直 : [きょくちょく]
 【名詞】 1. merits (of a case) 2. right or wrong
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly
: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

曲直瀬正琳 : ウィキペディア日本語版
曲直瀬正琳[まなせ まさよし]

曲直瀬 正琳(まなせ まさよし、しょうりん)は安土桃山時代江戸時代初期の医者。曲直瀬道三に入門し、医術を認められて家名を継いだ。豊臣氏に仕え、正親町上皇豪姫後陽成上皇等の病を治した。その後、徳川家康に従い江戸に移り、江戸幕府奥医師養安院家の始祖となった。
== 生涯 ==
伊予国の武将一柳宣高末孫恕心の子という〔『寛政重修諸家譜』巻第593〕。天正4年(1576年)曲直瀬道三に入門、天正10年(1582年)剃髪し、養庵と号した〔町泉寿郎「曲直瀬養安院家と朝鮮本医書」『日本思想文化研究』第2巻第1号、2009年〕。
天正12年(1584年)豊臣秀吉に謁見し、豊臣秀次に仕え、文禄元年(1592年)1月、秀次より近江国内250石を賜った〔。また、文禄元年(1592年)正親町上皇の病気に対し、薬を献上し、快復したため、12月28日法印に叙せられ、天皇の命で養庵を養安と改めた〔。養安の字は『荀子』による〔。文禄4年(1595年)、秀吉の命で宇喜多秀家豪姫を治療し、褒賞として、朝鮮出兵で得た書籍や備州信家作小刀を賜った〔。
慶長5年(1600年)4月26日、後陽成上皇を治療し、院号を許された〔。慶長8年(1603年)正琳庵、後の玉林院を創建した。
慶長10年(1605年)、徳川家康に従い駿府江戸に移り、慶長13年(1608年)より今大路親清半井成信施薬院宗伯と共に半年毎の輪番での江戸勤番となった〔。徳川秀忠御番を勤めた後、致仕し、慶長16年(1611年)8月9日死去し、京都正琳院に葬られた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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