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書院造(しょいんづくり)は、日本の室町時代から近世初頭にかけて成立した住宅の様式である。寝殿を中心とした寝殿造に対して、書院を建物の中心にした武家住宅の形式のことで、書院とは書斎を兼ねた居間の中国風の呼称である〔『日本人とすまい3 しきり』リビング・デザイン・センター、1997年11月7日、p11〕。その後の和風住宅は、書院造の強い影響を受けている。かつては「武家造」とも呼ばれたように、中世以降、武士の住居が発展する中で生まれた。 == 概要 == 書院造とは、平安時代の貴族の住宅様式「寝殿造」を元に、中世末期以降に始まり近世初頭に大いに発展完成した「書院」を主室に持つ武家の住宅様式である。時代とともに、日常的な住まいから接客空間としての広間へ、さらに儀式の場としての対面所へという変遷が伺える。武士の社会的地位の変化にともなう公的空間への移行と言い換えることもできよう。平和な平安王朝期と異なり、戦乱の多い武士の時代には、座敷が交渉や情報交換などの接客の場として重要性が増したため生まれたと考えられている〔『ビジュアル解説インテリアの歴史』 本田榮二、秀和システム, 2011〕。当然、儀式を要しない階層の武士の間では接客空間としての書院造は健在で、後に洗練の度合いを増し数寄屋の座敷を生むことになる。 寝殿造では十分でなかった間仕切りが書院造では大いに発達し、引き違いの建具によって分けられた畳を敷き詰めた室(座敷)が連なり、その室の床には高低差が付けられ、一段高い主室を上段、ときには上々段と呼び、低い室を下段と呼び席による階級差を明瞭に示すようになる。主室には、書院、押し板、棚、納戸構(帳台構・武者隠し)が設けられ、それらの壁には淡彩や濃彩の障屏画が描かれ上段に座す高位者を荘厳した。主室に必ずある「書院」とはほんらい書斎の意で、畳を敷いた二畳程度の小スペースに書見のための造りつけの机を置きその正面には南に向けて明かり採りの窓「書院窓」を開け、傍らには書物や硯を置く棚も設けられた。後にこの書院は、物飾りのスペースであった押し板と一体化して座敷の「床の間」となり、書院窓も書見という目的から離れて床の間の明かり採りとなり、「付書院」と呼ばれるようになる。連なる各室を仕切るのは引き違いの建具「襖」でありここにもしばしば障屏画が描かれた。寝殿造では円柱であった柱がここでは面取り角柱となりその面取りも時代とともに小さくなる。外回りでは舞良戸を多用しそれに併置して明かり障子が設けられた。連なった室の南側には畳を敷いた廊下である「入り側」が設けられさらにその外側には濡れ縁である「落ち縁」が設けられた。桃山時代頃には「雨戸」も発明され半戸外であった入り側も室内空間に取り込まれるようになる。寝殿造の中門廊は簡略化されて「中門」となり、ときに南庭に突き出たテラス、あるいは車寄せ、玄関へと変化を遂げる。 以上に述べた書院造の説明に、「座敷」、「床の間」、付書院、棚、角柱、襖、障子、雨戸、縁側、玄関という現代和風住宅を特徴付けるすべての要素が認められる。 今日の宴席では、しばしば床の間の位置によって「上座(かみざ)」「下座(しもざ)」などと座席位置が決められることがあるが、これも床の間との位置関係が身分序列の確認を促した書院造の伝統が生きていると言えよう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「書院造」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shoin-zukuri 」があります。 スポンサード リンク
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