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曹彰 : ウィキペディア日本語版
曹彰[そう しょう]

曹 彰(そう しょう、生年不詳 - 黄初4年6月17日223年8月1日))は、中国後漢末期から三国時代の皇族、武将。子文曹章とも表記される。
父は曹操(四男、卞氏の子としては次男)。同母兄は曹丕。同母弟は曹植曹熊ら。子は曹楷・女子一人(魏の王昌妻)〔『太平御覽』巻六百八十九に、「襄陽耆舊記曰、王昌字公伯。為東平相、散騎常侍。早卒。婦是任城王曹子文女」とある。〕。孫は曹温曹悌ら〔三国志』魏書「斉王芳紀」注引『魏氏春秋』によると、曹叡(明帝)の養子として育てられていた曹芳曹詢らは、曹楷の子すなわち曹彰の孫であるとの説があったという。〕。
== 生涯 ==
彼の腕力は人並み以上に優れており、猛獣と格闘することができたと言われるほど武勇に長けていた。また、弓射と馬車の操縦が上手かった。父が魏王に封建されると、鄢陵侯に封じられた。
代郡烏桓討伐など、異民族の反乱鎮圧で田豫と共に活躍し、父から「黄鬚」(こうしゅ、虎髭を生やしたような勇者の称号)と呼ばれ賞賛された。曹彰が規定の倍の恩賞を将兵に与えたため、ほとんどの将兵は喜んだという。また、曹操は曹彰を驍騎将軍に任じて鮮卑族の軻比能に攻め込ませ、曹彰に手酷く打ち破らせた〔『三国志』魏書鮮卑伝〕。この戦いで軻比能は、曹彰が敵対する勢力を全て撃ち破ったのを見て、曹操に服従することを決めたという。
曹操臨終の際には長安に駐屯していたため、父から早馬で呼び寄せられたが、その死に間に合わなかった。このため洛陽に到着した曹彰は、曹操死後を取り仕切っていた賈逵に対し、璽綬の在処を尋ねたが「貴方の尋ねるべきことではない」と反論されている。
兄には、その優れた武勇を警戒され冷遇された。兄が即位すると(文帝)、任城王に昇格となったが、223年に洛陽で急死してしまった〔『三国志』任城威王彰伝注引『魏氏春秋』では、かつて璽綬の在処を尋ねたことが異心の証とされて謁見を許されなかったため、曹彰は激怒して急死したという。また『世説新語』尤悔篇では、曹丕が曹彰を毒殺したとしている。
〕。その死後、威王された。
許昌市エン陵県に曹彰の墓とされる塚があり、「曹操之子、曹彰之霊」と刻まれた石碑がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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