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曹志 : ウィキペディア日本語版
曹志[そう し]
曹 志(そう し、生年不詳 - 288年)は、中国三国時代末期から西晋初期にかけての人。皇族允恭
== 概要・人物 ==

=== 生涯 ===
魏の陳思王曹植の末子として生まれた。曹操の孫にあたる。兄に早世した曹苗がいた。
若くして学問を好み、その才知で以て称された。大らかで飾らない人柄、寛大な度量を持ち、騎射に優れていた。父の曹植は「これは家を保つことのできる子だ」と言って、世嗣に立てた。曹植の死後、済北王に改封される。
司馬炎が撫軍大将軍となり、陳留王璞(奐と改名。元帝)を皇帝として迎えたとき、曹志と夜通し語り合い、その才能が抜きんでていると評した。晋が成立すると、曹志は鄄城県公に封じられ、楽平太守となる。
その後、章武、趙郡太守を歴任するが、本人は必ずしも政事に熱心とは言えず、昼は狩猟を好み、夜は詩経書経をそらんじていた。このため、当時の人々は曹志の本当の能力がどれほどのものか、よく解らなかった。
咸寧元年(275年)、散騎常侍、国子博士に任じられる。当時、武帝が『六代論』を閲して、曹志に「これは、そなたの父王が作ったものか」と問うた。曹志は「父は生前、目録を作ってございます。調べさせてみて下さい」と言った。武帝は目録を調べさせたが、結果は「目録に『六代論』はない」とのことであったため、「これは誰が作ったのか」と曹志に言った。曹志は「私が聞きますに、これは族父(一族で親の世代に当たる人)の曹冏の手になるものだとか。父は文才名高かったので、曹冏は著書を後代にまで広めんと欲して、父の名に寄託したのでしょう」と話した。武帝はそれを聞くと、「昔からよくあることだ」と言い、また公卿たちには「父子が証明したことは、明らかとするに足るものであった。今後、再び疑うことのないように」と命じた。
後、曹志は祭酒に異動した。ちょうど、斉王の司馬攸が斉へ赴任する頃であった〔司馬攸は265年から斉王に封じられていたが、領地へは赴かず都で政務を執っていた。斉王の出国は、彼が国政を輔弼するのを恐れた荀勗らの陰謀であるという(『晋書』斉献王伝)。〕。博士の秦秀劉暾らはこれに反対し、斉王は都の内で朝政を匡す役目とするのがよろしいと奏上していた。
曹志は、父が魏で志を得ないことを恨んでいたため、斉王の出国に心を痛めて悲しみ「安にか有る、此の如きの才、此の如きの親、樹の本を助化するを得ず、遠き海隅に出ずるや。晋朝の隆、其れ殆きかな!」と嘆いた。そして、次のような議を作成した。
「伏して聞く、大司馬斉王当に藩たりて東夏に出で、物を備うるに礼を尽くし、之を二伯と同じうすると……今、聖朝創業の始め、之を始めるに諒せずんば後事工たり難く、幹の植うるに強からずんば枝葉茂らず、骨の硬きに存ずんば皮膚充たず。羲皇自り以来、豈に是れ一姓の独り有らんや。……秦・魏は独り其の威を擅(ほしいまま)にせんと欲して、其の身を没するを財得す。周・漢は能く其の利を分け、親疏して之が為に用いる。……志、儒官の位を備うるに、若し言の礼に及ばずんば、是れ志は寇竊なり。忠を知りながら言わず、義なる所は敢えてせずと。志は以て為す、当に博士の議と等しきが如くせんと」
議を奏上する前、曹彪の息子で曹志の従弟にあたる高邑公曹嘉が、これを見た。曹嘉は「兄上の議は甚だ痛切です。後世、晋の歴史書が編まれたとき、斉王のことは必ず責められるでしょう」と言った。
武帝は議を読むと、激怒して「曹志は私の心さえ明らかに出来ないのに、どうして天下のことなど解ろうか!」と言い、曹志の議は論を曲げて反対しているとして官を剥奪し、財産を没収した。また、この議を通した太常の鄭默を罷免した。しかし、程なくして関係者は復権し、曹志も散騎常侍に復した。
後年、母が亡くなると、曹志は悲しみのあまり精神を病んで喜怒が常軌を逸し、太康九年(288年)に卒した。当時の太常は悪諡を奏上したが、崔褒魏顆の故事〔『春秋左氏伝宣公15年より。晋文公の家臣・魏犨には愛妾がいたが、子を生まなかった。そこで魏犨は、自分の死後、妾を他家へ嫁がせるよう命じていた。しかし、危篤になった魏犨は言葉を翻して、妾を殉死させるよう遺言して死んだ。息子の魏顆は「父は病のため錯乱して、あんなことを言ったのだ。だから、私は父が正常だったときの言葉に従う」として、妾を他家へ嫁がせた。すると、秦との戦いの時、妾の父親の幽霊が、娘を助けてくれたお礼として、草を結んで秦将の足を引っ掛けて倒した事によって魏顆は秦将を討ち取って大功を上げる事ができたという。〕を引いて「魏顆は、父親が病のため正気ではなかったとして、その命に従いませんでした。今、曹志へ諡するのに、彼ではなく彼の病へ諡しようとしていますが、彼は病のために正気ではなかったのです。」と諌めたので、諡は「定」となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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