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曹浩森 : ウィキペディア日本語版
曹浩森[そう こうしん]

曹 浩森(そう こうしん)は中華民国台湾)の軍人。馮玉祥率いる国民軍などで参謀長の要職を務め、後に国民革命軍でも活動した軍人である。名は明魏だが、浩森で知られる。
== 事跡 ==

=== 孫文支持派として ===
初めは旧学を学んでいたが、後に軍人を志し、江西陸軍小学堂、南京陸軍第4中学に入学する。1909年宣統元年)〔劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』2130頁による。徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』1641頁は1908年光緒34年)としている。〕、日本に留学し、東京振武学校に入学した。1911年に卒業・帰国し、翌1912年民国元年)に江西都督府で任用されている。まもなく、保定陸軍軍官学校第1期歩兵科として入学したが、卒業はしなかった。1913年(民国2年)夏、李烈鈞配下として第二革命(二次革命)に参加したが、敗北して日本に亡命する。その後、南洋へしばらく外遊した。
1915年(民国4年)12月に護国戦争が勃発すると、曹浩森は直ちに帰国し、李烈鈞率いる護国軍第2軍で参謀庁上校課長に任ぜられた。翌年、第2軍の広東攻略に参加し、戦後に第2軍が駐粤滇軍第3師、第4師の2個師に改編されると、曹は第3師第31団団長となっている。1918年(民国7年)以降は孫文(孫中山)の護法運動に参加し、粤贛湘辺防軍務督弁署副官長、大元帥府少将高参、援桂第3路軍参謀長を歴任した。1920年(民国9年)、孫文の侍衛副官に任ぜられ、翌1921年(民国10年)に曹は再び日本に留学し、陸軍大学校で学ぶ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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