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曹錕 ( リダイレクト:曹コン ) : ウィキペディア日本語版 | 曹コン[そう こん]
曹 錕(そう こん)は清末民初の軍人、政治家。北洋軍閥直隷派の指導者の1人。中華民国大総統。陸軍上将。字は仲珊。 == 事績 ==
===袁世凱の子飼い=== 天津の貧しい家に生まれ、最初は布を売って生活していた。しかし20歳で淮軍で兵士となり、1890年(光緒16年)に天津武備学堂(北洋武備学堂)を卒業している。1894年(光緒20年)の日清戦争に従軍し鴨緑江方面で戦った。戦後は袁世凱の下で天津の新軍訓練に従事し、1902年(光緒28年)に袁が直隷総督に昇進すると、曹錕は右翼歩兵第11営管帯に任ぜられている。翌1903年(光緒29年)に京旗常備軍が成立すると、北洋陸軍第1鎮第1協統領に抜擢された。1906年(光緒32年)に第1混成協統領となり、翌1907年(光緒33年)には第3鎮統制に起用されている〔張(1978)、172頁。〕。 同年、東三省総督徐世昌に随従する形で曹錕率いる第3鎮は長春に移駐し、曹は総兵となる。1911年(宣統3年)4月、副都統銜を授与され、7月には提督に昇進した。まもなく辛亥革命が勃発すると、曹は第3鎮を率いて直隷省の娘子関に急行し、革命派を撃破している。翌1912年(民国元年)2月、袁世凱が革命派と和解して臨時大総統となることに同意、曹の第3鎮は袁によって第3師と改められる。曹は第3師を率いて南苑に急行、北京を掌握した〔張(1978)、172-173頁。〕。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cao Kun 」があります。
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