|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village
郷内(ごうない)は、岡山県倉敷市児島地域にある地区である。かつての児島郡郷内村(ごうないそん)のうち植松(現岡山市南区)を除いた区域に相当し、林(はやし)、串田(くしだ)、曽原(そばら)、福江(ふくえ)、尾原(おばら)、木見(きみ)からなる。本項では児島郡郷内村についても述べる。 中世に存在した荘園の児林庄(こばやししょう)の比定地である。その後、福岡とも呼ばれた。 また、地場産業として帆布(倉敷帆布)が有名である。さらに当地中心部は、近世に熊野神社・五流尊瀧院の門前町として栄え、は新熊野(しんくまの)とも呼ばれた。 == 概要 == 倉敷市立郷内小学校(分校含む)・郷内中学校の学区とほぼ同じである。児島地域の最北部に位置し、児島半島の中央部に近い〔渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』朝倉書店(1968年)〕。 倉敷市児島地域の北部に位置し、中央に倉敷川に合流し児島湖に注ぐ郷内川が流れ、南を由加山、北を種松山に囲まれた盆地に約8800人が居住する〔倉敷市統計月報 平成23年3月 郷内小学校と郷内小学校尾原分校の学区人口を参考。〕。 地区のすぐ南側には喩伽山(由加山)がある。地区内を郷内川が南から北へ、その後東へ流域を変え、当地区東部にて倉敷川と合流する〔巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社〕。 当地は水島地域・倉敷地域に隣接する場所であり、また東方向の茶屋町地区・早島町・岡山市南区西部などとを繋ぐ幹線道路が造成され、それらの結節点にあたる道路交通の要衝である。それに伴い、元々農村地であったエリア西部の旧福岡村域は、幹線道路沿いにロードサイド店が増え、さらに宅地も多く造成され、様子が一変し、人口や交通量が増加した。水島地域との境界地には瀬戸中央自動車道の水島インターチェンジがある。その一方で、エリア西部の旧木見村域は、一部平野部で宅地化が進行しているものの、多くは今も農地が多い。 鉄道路線は大正から昭和中期にかけて下津井電鉄線があり、駅(林に林駅、福江に福田駅)もあったが、1972年に廃止となって以降は存在していなかった。その後瀬戸大橋開業により新たにJR西日本の木見駅が開業している。 江戸後期から明治頃まで小倉織、および真田紐の一大産地であり、備前小倉織と呼ばれた。現代においては、主に農業が主産業であったが、児島郡の他地区同様に繊維産業も多く、帆布・撚糸・織物などが製造される。これはかつての備前小倉織の技術が生かされている〔〔。 明治初期まで児島郡林村、串田村、曽原村、福江村、尾原村、木見村であったが、明治11年に林村・串田村・曽原村・福江村が合併し同郡林村を新設した。同22年には町村制施行に伴い、木見村・尾原村・山村(現・琴浦となっている由加)が合併し、木見村(きみそん)を新設。さらに林村は福岡村(ふくおかそん)へ改称する。同39年には、福岡村・木見村の内の木見・尾原、同郡彦崎村の内の植松が合併し、同郡郷内村(ごうないそん)を新設することとなった。昭和になり、昭和34年に郷内村の内、植松を除く地区が児島市(こじまし)へ編入合併した(郷内村の内の植松は、児島郡灘崎町編入され、現在は岡山市南区となっている)。その後、昭和47年2月1日に現行の倉敷市になり、現在へ至っている〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 なお地区内には、中小の神社仏閣が多数点在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郷内」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|