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『曽塚が事』(そづかがこと)〔国書刊行会『百家随筆 第三』、P142 「多氣窻螢」目次の「曽塚が事」より記事タイトルとした〕は、平安時代末期の保元元年(1156年)7月に起こった保元の乱にまつわる、伊勢国の2人の武士の説話である。 天正元年(1573年)に「多気窓蛍」下巻に掲載された一篇である。また、大正7年(1918年)には国書刊行会「百科随筆」第3巻にて紹介された。 ==内容== 平安時代のこと。古市(現在の伊勢市)に伊藤という平家の武士がいた。 また、櫛田(現在の松阪市)には曽塚という武士がいた。 2人はとても仲がよく、「互いに死を共にせん」と誓い合った〔国書刊行会『百家随筆 第三』、P149 〕。 だが、伊藤のみが京都の保元の乱に召集されてしまい、曽塚はただ心配して伊藤の帰りを待つばかりとなった。 やがて戦が終わり、戦をした人々が次々に帰ってきたが、伊藤はなかなか帰らなかった。 そこで、「伊藤が討ち死にしたのであれば、共に死のうと誓い合った自分がおめおめと生き残るのは恥である」と、曽塚は腹を切って死んでしまった〔。 その後、伊藤が元気に帰ってきた。 伊藤は曽塚の死を悲しみ、一度は自分も死のうと思ったが、平家のため生きることにした。 そして伊藤は櫛田に「曽塚庵」という堂を建て、曽塚の木像を安置して弔い、古市に帰っていった〔。 それから200年あまり過ぎた室町時代のこと。櫛田の里の長が井戸を掘ったところ、曽塚の石棺が出てきた。中には器や骨、鎧兜があった。 これらは朽ち果てるのも惜しいので「櫛田の大寺」に奉納された〔国書刊行会『百家随筆 第三』、P150 〕。 また、その頃には、舊井という土地に田原三郎という曽塚の子孫も残っていたという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「曽塚が事」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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