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曽禰好忠[そね の よしただ]
曽禰 好忠(そね の よしただ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。出自については未詳〔古代氏族としての曾禰氏(曾禰連、曾禰造、曾禰宿禰)は物部氏の一族とされ、『新撰姓氏録』でも石上同祖(左京神別)、饒速日命の六世孫伊香色雄命の後裔(右京神別)、あるいは采女臣同祖(和泉神別)との記述がある。但し、好忠が物部氏族の曾禰連に連なるのかどうかははっきりしない。〕。中古三十六歌仙の一人。官位は六位・丹後掾〔『勅撰作者部類』〕。長く丹後掾を務めたことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。 == 経歴 == 当時としては和歌の新しい形式である「百首歌」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。当時の有力歌人であった源順・大中臣能宣・源重之らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であった。新奇な題材や『万葉集』の古語を用いて斬新な和歌を読み、平安時代後期の革新歌人から再評価された。 『拾遺和歌集』(9首)以下の勅撰和歌集に89首入集〔。家集に『曾丹集』がある。小倉百人一首 46番(及び『新古今和歌集』恋一1071)より。 :由良の門(と)を 渡る舟人 梶(かじ)を絶え 行方も知らぬ 恋の通かな
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「曽禰好忠」の詳細全文を読む
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