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曽養甫[そう ようほ]
曽 養甫(そう ようほ)は中華民国の政治家・技術官僚。鉄道・交通・建設部門のテクノクラートとして、国民政府の各種建設事業で実績を残した人物である。また陳立夫の学友で、中国国民党ではCC派の一員と目された。名は憲浩だが、字の養甫で知られる。 == 事跡 ==
=== 国民政府への参加 === 北洋大学鉱冶系を1923年(民国12年)に卒業する。その後、同学の陳立夫とともにアメリカに留学、ピッツバーグ大学で修士学位を取得した。また、留学期間中に国際学生会会長に選出されている。 1926年(民国15年)に帰国して広州に戻ると、曽養甫は陳立夫の兄・陳果夫の推薦を受けて広州国民政府に任用された。北伐のために軍需工場設立の任にあたっている。9月、国民政府僑務委員会委員に就任し、以後、中国国民党広東省党部常務委員兼青年部長、国民革命軍総司令部後方総政治部主任、広東省政府建設庁庁長などの要職を歴任した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「曽養甫」の詳細全文を読む
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