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曾祢益 : ミニ英和和英辞書
曾祢益[そう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
  1. (prt,pref) (1) once before 2. formerly 3. ever 4. former 5. ex- 6. (2) never (with negative verb)
: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)

曾祢益 ( リダイレクト:曽祢益 ) : ウィキペディア日本語版
曽祢益[そねえき]
曾禰 益(新字体:曽祢 益、そね えき、1903年12月5日 - 1980年4月25日)は、日本官僚政治家正三位勲一等。妻は東急グループの創業者である五島慶太の長女・春子である。
== 来歴・人物 ==
東京都出身。建築家曽禰達蔵の三男として誕生。東京府青山師範学校附属小、東京府立一中第一高等学校東京帝国大学法学部政治学科卒。1926年大正15年)、外務省に入り、フランス中国に駐在。
外務省政務局第一課長を経て、1945年昭和20年)の敗戦後は終戦連絡中央事務局政治部長として〔 〕GHQと交渉にあたるが、当時の外相吉田茂と対立し、九州に左遷される。曾禰の回想録によれば、終戦直前にも東郷茂徳外務大臣軍部を刺激しないように慎重に終戦工作を進めている最中に、吉田が「なぜ直接アメリカに講和(実質は無条件降伏)を申し入れないのか」と、応対した曾禰に怒鳴りつけたとされており、吉田との相性が悪かったようである。1947年片山内閣内閣官房次長。のち、連絡調整中央事務局長官(1948年(昭和23年)3月 - )。
1949年日本社会党に入党、翌年の第2回参議院議員通常選挙神奈川県選挙区から立候補し、初当選。1960年民主社会党(後の民社党)の結党に参加し、初代書記長に就任。1962年まで務めた。1967年衆院選神奈川2区から立候補し、代議士に転身。1970年1971年の党大会で西村栄一春日一幸両者と民社党委員長ポストを争ったが、いずれも敗れた。1979年、政界引退。
1980年昭和55年)4月25日、心不全のため死去。享年76。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「曽祢益」の詳細全文を読む




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