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新庄城(しんじょうじょう)は、山形県新庄市堀端町にあった日本の城(中世の平城)である。別名沼田城(ぬまたじょう)、鵜沼城(うぬまじょう)と呼ばれる。新庄市指定史跡。 == 概要 == 新庄城は、新庄藩6万石(のちに6万8200石)の本拠として寛永2年(1625年)、戸沢政盛により現在の山形県新庄市堀端町に築城された平城。本丸の南側に出丸のように小さな二の丸が並列状に配置され、その外側を三の丸が囲む形である。本丸及び二の丸、三の丸の堀の水は城の北を流れる差指野川(さすのかわ)から引かれた。三の丸堀(二の堀)の反対側に当たる現在の堀端町は、家老などが住む侍屋敷があった。 最上氏改易後に入封した戸沢政盛は当初真室城(鮭延城)に入城したが、手狭であることと、山城のための不便さから幕府に願い出て、当地に築城した。なお、縄張は同一時期に山形城に入封した鳥居忠政によるものである。 1636年(寛永13年)に、火災によって天守が焼失したが再建されなかった。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では戦闘の舞台となった。当初、新庄藩は奥羽越列藩同盟に参加していたが、久保田藩(秋田藩)が新政府側へ変節したのに同調し、奥羽越列同盟から離脱した。これに激怒した庄内藩は新庄藩へと攻め入り、庄内藩兵と新庄藩兵の間で攻城戦が行われたが新庄城は陥落して、その大部分が焼失した。当時の藩主、戸沢正実は久保田藩へ落ち延びた。新庄城は同年のうちに廃城となった。 現在は、新庄城の建物のほとんどが失われ、本丸址に戸澤神社、護国神社、稲荷神社、天満神社(城を創建した戸沢氏の氏神、藩政時代から現存している唯一の建造物)がある。なお、新庄ふるさと歴史センター近くでは三の丸堀跡も確認できる。本丸跡、二の丸跡を含めた城跡は最上公園として市民に開放されている。最上公園は、春の「かど(ニシン)焼き大会」の会場となり、また、夏は天満神社の縁の祭りの新庄祭が開催される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新庄城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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