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最上 義秋(もがみ よしあき)は室町時代中期から戦国時代の出羽国の武将・大名で山形城主。最上氏第6代当主で守護大名に準ずる立場であり、羽州探題と思われる。 == 生涯 == 当時の出羽国、特に最上氏については不明な点が多く、未だ研究中の段階である。義秋は生年が不明であるだけでなく、その父も不明である。4代当主満家の三男とする説と5代当主義春の嫡男とする説がある。前者の三男とすれば兄に頼宗・義春がいたことになる。名の「義」の字は足利将軍家から賜ったものと考えられるが、どの将軍によるものかは不明。文明6年(1474年)、応仁・文明の乱の最中に先代の義春の死去により家督を継ぐ。応仁・文明の乱の一因として斯波義廉と斯波義敏の争いがあり、同族である最上氏は何らかの形で関与したと思われるが、その形跡はない。家督相続の6年後に死去した。弟(または息子)の義総は成沢氏に、義旦は杉山氏にそれぞれ分封された。本来はこのどちらかが家督を継ぐべきであったが、何故か中野満基の子の満氏が家督を継いだ。満家の嫡男・頼宗の死と並び、何らかの政変があったとも考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「最上義秋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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