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最高善(さいこうぜん、、、)とは、アリストテレスを嚆矢とする、ギリシア哲学の倫理哲学における究極目的としての最高の「善」こと。 ==歴史== ===アリストテレス=== アリストテレスは、ソクラテスが漠然と「徳」(アレテー)と表現し、師であるプラトンがイデア論を背景として「善のイデア」と表現した、(人間・万物の)究極目的を、「最高善」(ト・アリストン)と表現した。 その内容は、『ニコマコス倫理学』の冒頭で明確に述べられている〔『ニコマコス倫理学』 第1巻〕。 人間の諸々の活動は常に何らかの「善」(アガトン)を希求し、目的としている。そうした諸々の活動・希求・目的の連鎖・包含関係の最上位に来るのが「最高善」(ト・アリストン)である〔『ニコマコス倫理学』 第1巻 第2章〕。また、個人的な「最高善」よりも、集団的な、国(ポリス)の「最高善」に到達し保全する方が、より大きく、より究極的であるという〔。そして、そんな国(ポリス)における諸々の活動を決定・方向付ける、包括的な活動こそが「政治」(ヘー・ポリティケー)であり、そうであるがゆえに、この「政治」的活動は、「人間というものの(最高)善」(ト・アントローピノン・アガトン)を目的とし、それを体現するものでなくてはならない〔。 (ただし、アリストテレスは、ソクラテス・プラトン等の議論がそうであったように、政治・社会実践に関わる「善」という概念が、多面的で多くの差異・揺曳(ようえい)を孕んだものであり、数学や論証のごとく、一義的に定めるのが困難なものであること、そうした対象・問題の性質ゆえに(弁証法的に)「おおよそ」の帰結で以て満足しなければならないものであることも、あらかじめ断っている〔『ニコマコス倫理学』 第1巻 第3章〕。) アリストテレスは、「最高善」とは自足的・充足的なものであり、「幸福」(エウダイモニア)であることを端的に述べる〔『ニコマコス倫理学』 第1巻 第4章・第7章〕。そして更にそれを、「究極的な卓越性(アレテー)に即しての魂の活動」と言い換える〔『ニコマコス倫理学』 第1巻 第7章〕。こうして様々な卓越性(アレテー)の内容を参照・検討していくのが、『ニコマコス倫理学』本編の内容である。 様々な卓越性(アレテー)の参照を終え、アリストテレスは知性(ヌース)による「観照的(テオーレーテイケー)な活動」こそが、「究極的な卓越性(アレテー)に即しての魂の活動」であり、最も自足的な「幸福」であると結論付けるが、それは人間の水準を超えた「神的な生活」(不動の動者のごときもの)であるとして、人間に属するものとしては斥ける〔『ニコマコス倫理学』 第10巻 第7章〕。続いて、あくまで人間の性質に基づく第二義的な卓越性(アレテー)として、 *知慮(プロネーシス) *倫理的性状(エートス) *情念(パトス) の相互条件付けから成る、複合的・合成的な卓越性(アレテー)を挙げ、これこそが人間がその活動において即して目的とし、実践・体現する「人間というものの(最高)善」(ト・アントローピノン・アガトン)であることが、述べられる〔『ニコマコス倫理学』 第10巻 第8章〕。 こうして「最高善」の概念とその実践は、続く著作『政治学』にも引き継がれ、その冒頭で、「人類の最高の共同体である国家の目的は最高善」である旨が、再度言及・確認される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「最高善」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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