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月友(つきとも)は日本のサラブレッド種牡馬。カイソウを初めとする5頭のクラシック競走優勝馬など、1940年代から1950年代にかけて多くの活躍馬を輩出した。半妹に史上初めて東京優駿(日本ダービー)に優勝した牝馬ヒサトモがいる。 == 経歴 == 1931年、それまでイギリスの血統が主流を占めていた日本競馬にアメリカ血脈を導入すべく、宮内省下総御料牧場がアメリカより3頭の繁殖牝馬を輸入した。月友はそのうちの1頭アルザダ(血統名・星友)が日本で産んだ牡駒で、いわゆる持込馬である。父はアメリカの伝説的競走馬マンノウォー。ほかの2頭から生まれた産駒はいずれも牝馬で、今日ではともに帝室御賞典優勝馬のクレオパトラトマス、エレギヤラトマスとして知られているが、唯一の牡馬であった月友は競走馬として出走することはなく、1936年より種牡馬となった。 種牡馬入り当初は、同じ下総御料牧場に繋養されていた大種牡馬トウルヌソル、鳴り物入りで輸入されたダイオライトらに圧され、産駒の八大競走での活躍はなかったが、太平洋戦争中の1944年、カイソウが検定競走として行われた東京優駿に優勝してクラシック競走を制覇。戦争による競馬休止から明けた1946年にはミツマサが優駿牝馬に優勝し、以後もミハルオー、オートキツなどの活躍馬を送り出し、1953年の種付けをもって引退するまで第一線の種牡馬として活躍を続けた。 オートキツが当時「最悪」と言われた不良馬場で行われた東京優駿を、史上最大着差の8馬身差で優勝したことに象徴されるように、産駒はおしなべて重馬場に強く 「雨の月友」の異名を取った。1956年に死亡。後継種牡馬は育たず、1981年にオートキツ産駒のカミトキカゼ(牝、地方競馬で6勝)が引退したのを最後にサラブレッド競走馬の父系としては途絶えているが、ブルードメアサイアーとして4度の首位を獲得するなど母系に入って大きな影響力を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「月友」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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