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有元 史郎(ありもと しろう、1896年6月25日 - 1938年5月30日)は、広島県尾道市土堂町出身の教育者、政治家。芝浦工業大学創設者〔建学の精神 - 法人概要 - 大学案内 - 芝浦工業大学 、〕〔日外アソシエーツ編『学校創立者人名事典』、紀伊国屋書店、2007年、16-17頁〕。第4代岡山県津山市長(1937年)〔『日本の歴代知事』(第三巻)、歴代知事編纂会、1985年、56頁〕。 == 経歴 == 広島県尾道市土堂町出身〔。船具を扱う尾道の名家の四男として生まれるが、会社が廃業し3歳のとき、兄2人とともに叔母に引き取られる〔〔。14歳のとき、家出同然に兵庫県西宮市の叔父のもとへ向かう。奉公の後、独力で大阪天王寺の桃山中学校に編入、しかし腸チフスに感染し同校退学。一年間兵役に服した後、検定試験で中学を卒業。兄の援助を受け1919年、鹿児島の第七高等学校理科甲類入学〔。同校を経て1925年、東京帝国大学工学部機械工学科卒業〔〔。その後同大学経済学部へ学士入学し、以降、同大学院、法学部、日本大学の商科、文科へ入学と卒業を繰り返し、計5つの学士号を取得した〔〔朝日新聞デジタル:私立大学の原点 〕。1927年、30歳の若さで東京府荏原郡大森(現・大田区)に芝浦工業大学の前身、東京高等工商学校を創設し校長に就任〔〔〔港区公式ホームページ/芝浦港南地区の大学紹介 芝浦工業大学 〕。建学の理念として「実用的な技術と知識を併せ持って技術立国を担う技術者、しかも高い倫理観と豊かな見識を備えた優れた技術者の育成」を掲げた〔芝浦工業大学|大学データベース|電気工学を学ぶ|パワーアカデミー 〕。同年、東京府芝区(現・港区)に第二校舎(芝浦校舎)を開設。 1937年、岡山県津山市より市長就任の依頼を受け受諾〔。直前に日華事変が勃発し、当時の岡山県知事・伊藤武彦と共に出征軍人家族の救援資金集めに奔走するが、就任1ヵ月にして疑獄事件に巻き込まれ、僅か2ヵ月で辞任した〔。翌1938年、走行中の列車から転落し41歳で世を去った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有元史郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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