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有島 一郎(ありしま いちろう、1916年3月1日 - 1987年7月20日)は、日本の俳優。本名、大島 忠雄(おおしま ただお)。 愛知県名古屋市出身。名古屋中学校卒業。所属事務所は、有島一郎一座に始まり、小夜福子一座、劇団たんぽぽ、劇団空気座、松竹大船、東宝芸能を経て、最後はフリーだった。 == 来歴・人物 == 1916年3月1日、愛知県名古屋市で鉄工所経営者の長男として生まれる。日置尋常小学校を経て名古屋中学に入学、その頃から芝居好きで学生時代は学芸会の花形として活躍した。しかし両親が相次いで亡くなるという不幸に見舞われ、有島自身も自活を迫られてしまう。 1933年に卒業後は、俳優を目指して当時、人気スターだった田村邦男に弟子入り、十代で軽演劇の世界に飛び込む。1936年に上京後は、新宿のムーラン・ルージュに入り、次第に頭角を現す。1940年にまさ子夫人と入籍(結婚式は21年後の1961年に行われる)。その後、有島一郎一座を結成するが長続きせず、小夜福子一座、水の江滝子率いる劇団たんぽぽと渡り歩くうちに終戦を迎える。 終戦直後には堺駿二と劇団空気座を旗揚げするも、すぐに脱退。結局は、三木トリロー・グループの池袋公演に出演したことがきっかけとなり、NHKラジオの『日曜娯楽版』に出演し、全国的に有名になる。1947年に『若き日の血は燃えて』で映画デビュー、1955年に東宝と専属契約を結んでからは、『社長』シリーズや『若大将』シリーズなどに出演し、森繁久彌、三木のり平と並び、名喜劇役者としての地位を確立する。一方、テレビではTBSの『ありちゃんのおかっぱ侍』で主役を演じ、舞台でも菊田一夫率いる東宝ミュージカルで三木のり平と共に中心的役割を果たすなど、有島の快進撃は続いた。その後は山田洋次監督の『なつかしい風来坊』あたりから、ペーソス漂う演技で新境地を開拓する。1966年には『暖春』でアジア映画祭最優秀助演男優賞を受賞。1972年に東宝専属契約を解除し、フリーになった。晩年はテレビ朝日の『暴れん坊将軍』で加納五郎左衛門役が当たり役となり、亡くなるまで演じた。 晩年の1984年6月21日には、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」コーナー(フジテレビ)に出演。 1987年7月20日、心不全のため死去。。俳優・歌手のRomi(成田路実)は孫。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有島一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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