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有森 新吉(ありもり しんきち、安政7年1月26日(1860年2月17日) - 昭和8年(1933年)11月18日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→庚申倶楽部)。実業家。ジャーナリスト。教育者。 == 経歴 == 岡山藩士有森吉清の長男として岡山に生まれる。岡山藩藩学、温知学校、岡山変則中学校などで学んだ後、1879年(明治12年)に商法講習所(現在の一橋大学)に入学した。1881年(明治14年)、専修学校(現在の専修大学)経済科に転じた。専修学校卒業後の1882年(明治15年)に東京大学に入学し、1885年(明治18年)に卒業した。その後、ドイツに留学し、イェーナ大学、ベルリン大学、テュービンゲン大学、シュトラスブルク大学で学んで、1891年(明治24年)に法学博士号を得た〔朝比奈知泉編『財界名士失敗談 下巻』毎夕新聞社、1909年、pp.107-112〕。 1892年(明治25年)、学習院教授に就任。翌年、日本法律学校(現在の日本大学)幹事長となった。さらに翌年から函館商業学校校長・北海道函館中部高等学校校長を務めた。 1897年(明治30年)、大阪商船株式会社基隆支店長となり、翌年に神戸支店長に転じた。その後、京華日報社支配人を経て、山陽新報社主筆となった。1900年(明治33年)、岡山県会議員に選ばれた。その後、大阪に出て、韓国煙草組合の経営にあたった。1906年(明治39年)より川崎造船所会計課長を務めた〔。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 1914年(大正3年)より私立中学閑谷黌長となり、1920年(大正9年)まで務めた。さらに摂津紡績株式会社社長も務めた。 1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙で再選を果たし、第14回衆議院議員総選挙でも当選した。 1921年(大正10年)から1925年(大正14年)まで山陽新報社社長を務め、1927年(昭和2年)には川崎汽船株式会社取締役に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有森新吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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