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有楽斎 長秀(うらくさい ながひで、生没年不詳)とは、江戸時代後期の京都の浮世絵師。 == 来歴 == 姓は中邑、名は有恒。有楽斎、長秀、中村長秀などと号す。法橋有楽斎と号した作品もみられる。この有楽斎という号は織田有楽斎の屋敷跡の傍に住んでいたことに因むともいわれる。また、大坂堀江にも住居をもち、二都において活躍していた。寛政11年(1799年)から弘化年間に合羽摺及び錦絵による美人画や役者絵を描いている。役者絵は合羽摺37点、錦絵40点が知られる。合羽摺「初代芳沢いろはと二代目嵐吉三郎」では、編み笠を手に持って頭巾を脱ぎ楽屋入りする姿を捉えている。個性的な細版合羽摺の美人画「祇園神輿洗ねり物姿」シリーズ、「大坂しん町ねり物姿」シリーズで知られているが、合羽摺の風景画、風俗画、玩具絵も多く残している。「祇園神輿洗ねり物姿」というのは、八坂神社の氏子であった芸妓が祇園祭りの神輿洗い(はらい)の時に色々な仮装をして神社を詣でる姿を描いており、その芸妓の練るような歩き方から名づけられたとされる。他に番付、役者評判記、滑稽本、咄本の挿絵なども手掛けている。 文政6年(1823年)正月の道頓堀角の芝居『けいせい廓大門』に取材した合羽摺3枚続「二代目沢村国太郎・初代中村歌六・二代目藤川友吉」も知られており、この芝居は当時人気があったようで、春好斎北洲らによって錦絵にも描かれた。作画期も長く、その作品数において合羽摺の第一人者であったといえる。画風、落款も初期から末期にかけて著しく変化している。初期の作品「さくらや栄治」では特徴ある顔面描写がみられ、流光斎如圭、松好斎半兵衛の画風に近いもので、さらに誇張味を増したものであった。門人に長重などがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有楽斎長秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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