|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 有 : [う, ゆう] 1. (n,vs) possession ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 二 : [に] 1. (num) two ・ 二三 : [にさん] (n-adv,n-t) two or three ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 三男 : [さんなん] 【名詞】 1. three men 2. third son ・ 男 : [おとこ] 【名詞】 1. man
有田 二三男(ありた ふみお、1955年4月10日- )は、大阪府岸和田市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、24ページ〕出身の元プロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。 ==来歴・人物== 北陽高校(現・関西大学北陽高校、大阪)では、3年生時の1973年に、エース・ピッチャーとして選抜高校野球大会(第45回)に出場。同大会の初戦では、この大会で屈指の好投手と評された江川卓がいる作新学院高校(栃木)と対戦した。この試合で有田は2失点と好投し打撃でも江川から三塁打を放つが、打線は江川を打ち崩す事ができず、0-2で敗退した。 この年には、全国高校野球選手権大会(第55回)にも出場。初戦となった2回戦では、秋田高校に1-0で勝った。続く3回戦の高鍋高校戦では、有田がノーヒット・ノーランを達成〔。スコアは秋田高校との試合と同じ、1-0であった。そして準々決勝では今治西高校と対戦したが、2-6で敗れ、準決勝進出は成らず。 この時の北陽高校の同期には、後に近畿大学やクラウンライターライオンズ・西武ライオンズなどでプレーする慶元秀章がおり、2年後輩には早稲田大学を経て阪神タイガースで活躍する事になる岡田彰布がいた。オーバースローからの伸びのあるストレートが武器、カーブ、シュートも投げる。 同年11月に開かれたプロ野球ドラフト会議で、近鉄バファローズからの2位指名を受け、高校卒業後に入団。 しかしプロでは苦しみ、1軍の試合に登板できたのは1974年と1977年のわずか1試合ずつ、計2試合だけだった。 1979年オフに引退し、その後は1980年から1984年まで、読売ジャイアンツで打撃投手を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有田二三男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|