|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 有 : [う, ゆう] 1. (n,vs) possession ・ 佳 : [か] 1. (adj-na,n) beautiful 2. good 3. excellent
有賀 佳弘(ありが よしひろ、1957年10月15日 - )は、東京都調布市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、23ページ〕出身の元プロ野球選手(捕手)。 == 来歴・人物 == 早稲田実業高では2年生からレギュラー捕手となり、1974年夏の甲子園東東京予選準決勝に進出するが、二松學舎大付に敗れる。翌1975年は東東京予選決勝で日大一高を降し、夏の甲子園に出場、しかし1回戦で中京商のエース今岡均に抑えられ敗退した〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。 早稲田大学に進学、東京六大学リーグでは1978年秋季リーグで優勝を経験するが、金森栄治の控え捕手にとどまる。4年生から正捕手となり、1979年春季リーグで在学中2度目の優勝、打率.500で首位打者になりベストナインを受賞〔。同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出される。リーグ通算31試合出場、107打数39安打、打率.364、2本塁打、18打点。大学同期に岡田彰布、島貫省一がいた。 卒業後は日産自動車に進む。1980年の都市対抗に東芝に補強され出場するが、1回戦で電電九州の山内孝徳投手を崩せず敗退〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。翌1981年の都市対抗も東芝の補強選手として連続出場、2回戦では延長11回にサヨナラ本塁打を放ち日本楽器を降す。準々決勝でも日本通運から決勝本塁打を放つなど、打の中心として活躍。決勝に進出し、電電東京と対戦するが2-3で惜敗、準優勝にとどまった〔。この時のチームメートにエースの黒紙義弘をはじめ青島健太、菊地恭一らがいる。 1981年ドラフト4位で阪急入団。即戦力と期待されるが中沢伸二、片岡新之介、藤田浩雅らの捕手陣に割り込むことは出来なかった。しかし1983年には一軍に定着、左翼手として38試合に先発出場を果たす。翌年も外野手、指名打者として起用されるが、1985年には一軍での出場がなくなる。同年11月に金銭トレードで中日に移籍。ここでも出場機会に恵まれず、翌1986年限りで現役引退。 後に中日二軍マネージャーに就任〔。2014年11月1日付でチーム統括本部編成部長を兼務。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有賀佳弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|