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有馬 三恵子(ありま みえこ、1931?〔17才の項目にて左曲を出した時に40歳前後と記述されている。〕 - )は、日本の作詞家である。伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」、 布施明「積木の部屋」等のヒットで知られる。 == 人物・来歴 == 山口県防府市出身。法政大学を卒業。1960年代後半から作詞家活動を開始する。 時期は不明であるが、同郷の出身の作曲家で当時音楽之友社『ポップス』誌編集長であった鈴木淳と結婚、鈴木を職業作曲家として確立させた1967年(昭和42年)2月10日発売のヒット曲、伊東ゆかり「小指の想い出」〔作曲家・鈴木淳のプロフィール 、鈴木淳音楽事務所、公式ウェブサイト、2010年9月4日閲覧。〕の作詞を手がけ、「おしどり夫婦」と紹介される〔「ヒットした夫婦」、『主婦の友』昭和42年10月号、主婦の友社、1967年。〕。同年に鈴木とともに手がけた楽曲には、ザ・ピーナッツ「東京ブルーレイン」(同年5月発売)、いしだあゆみ「こまらせたいの」(同年8月発売)、黒木憲「夜の東京の片隅で」等がある。1969年(昭和44年)まではコンビとして共作を生み出すが、のちに離婚、鈴木は悠木圭子と再婚する。 1971年(昭和46年)、南沙織のデビュー曲「17才」の作詞を手がけ、同作は同年6月1日に発売されて54万枚のヒットを記録する。以降、南の引退する1978年(昭和53年)8月21日発売の実質的ラストシングル「Ms. (ミズ)」まで、作曲家の筒美京平と組んで多くの楽曲の歌詞を書いた。同年6月、1975年(昭和50年)4月21日発売の「想い出通り」に由来する書名を持つエッセイ『今日からが思い出通り - 愛と出逢うための30章』を発表する〔今日からが思い出通り 、国立国会図書館、2010年8月28日閲覧。〕。筒美京平、川口真らの曲に詞を提供し、数々のヒット曲を生みだしている。 CBSソニー(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)で南沙織を手がけるのに成功した有馬は、1974年(昭和49年)、ユニオンレコード(当時テイチク、現在のテイチクエンタテインメント傘下のレーベル)での風吹ジュンの歌手デビューに際し、デビュー曲「愛がはじまる時」以降3曲の作詞を手がける。 佐々木久子が主宰する「カープを優勝させる会」のメンバーでもあり、1975年には、広島東洋カープ応援歌「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(作曲宮崎尚志、歌唱塩見大治郎)の歌詞を手がけたほか、「ゴーゴーカープ」、「ヴィクトリー・カープ」等の作詞もしている。 1980年(昭和55年)、石野真子に「めまい」を提供、満19歳の夏を迎えた石野のおとなへの脱皮に貢献する。 2004年(平成16年)、英知出版が出版した短編小説集『会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった--。』に、南沙織の同名の楽曲をモチーフにした小説『17才』〔会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった--。 、国立国会図書館、2010年8月28日閲覧。〕、翌年出版の続篇『会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった 2』に布施明の同名の楽曲をモチーフにした小説『積木の部屋』を発表している〔会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった 2 、国立国会図書館、2010年8月28日閲覧。〕。 日本脚本家連盟が主宰する作詞教室の講師を務め〔作詞家 講師陣紹介 、日本脚本家連盟、2010年8月28日閲覧。〕、同連盟主宰の「作詞コンクール」の審査員を務めている〔作詞家 新人賞コンクール 、日本脚本家連盟、2010年8月28日閲覧。〕。日本作詩家協会会員〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有馬三恵子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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