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有馬 則故(ありま のりふる)は、江戸時代前期の旗本。 == 生涯 == 旗本・有馬豊長の長男〔『寛政重修諸家譜』巻第四百七十〕として生まれる。 承応元年(1652年)8月25日、徳川家綱に初謁。延宝3年(1675年)7月11日、家督を継承。 延宝7年(1679年)8年15日に御使番となり、同年12月28日に布衣を許された。天和元年(1681年)3月1日、仰せにより関東巡視の任に当たる。天和2年(1682年)4月13日には越前国大野城を土井利房に引き渡す役割を務め、同月21日に上野国邑楽郡内で500石を加増され、知行地は都合3,500石となった。天和3年(1683年)閏5月28日には、幼少の榊原虎之助(榊原政邦)が藩主に就任した越後村上藩に仰せによって派遣され、政務の監督に当たった。貞享2年(1685年)7月12日には、下総国古河城を松平信之に引き渡す役割を務めた。 元禄5年(1692年)4月14日、御先鉄砲頭に転じる。宝永元年(1704年)6月7日、高齢を理由に職を退いている。 正徳3年(1713年)閏5月28日、79歳で死去。麻布の曹渓寺に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有馬則故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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