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有馬 頼善(ありま よりよし〔)は、筑後久留米藩第8代藩主・有馬頼貴の子。世嗣と定められたが、廃嫡された。 == 生涯 == 安永8年(1779年)1月15日〔篠原(1981年)p.53〕、有馬頼貴の二男として出生〔(夭折した男子が一人いるため、三男と記されることもある〔)。母は側室の「きくえ」〔篠原(1981年)p.571が引く『米府年表』による。『寛政重修諸家譜』では「上に同じ」とし、頼董・頼端と同じ高木氏としている。〕。 兄の頼董が14歳で早世したため、天明6年(1786年)11月23日に嫡子となる〔。しかし、生まれつき癇性であり、凶暴であったために〔、寛政4年(1792年)に久留米への帰国が幕府に願い出られた〔篠原(1981年)p.571〕。寛政5年(1793年)3月25日廃嫡〔、かわって弟の頼端が嫡子となった。『寛政重修諸家譜』では廃嫡の事情を「やまひ」によるものと記している〔。 廃嫡後は久留米城内に一室をあてがわれていたが〔、寛政10年(1798年)6月9日に挨拶に訪れた藩士を鉄砲で射殺する事件を起こし、居室に「御囲」が作られた〔。 文化13年(1816年)3月23日没、享年38〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有馬頼善」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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