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有馬 頼次(ありま よりつぐ)は、江戸時代前期の武士。筑後久留米藩主・有馬豊氏の三男〔『寛政重修諸家譜』巻第四百七十〕。分家して駿河駿府藩主の徳川忠長に仕え、1万石を給された。 == 生涯 == 元和3年(1617年)、7歳で将軍徳川秀忠に初謁。翌、元和4年(1618年)に徳川忠長に付けられた。その後忠長のもとで1万石を給され、寛永5年(1628年)には従五位下加賀守に叙された。しかし、寛永9年(1632年)に忠長が改易されると、頼次も勘気を蒙り、父の豊氏に預けられた。 寛永13年(1636年)12月10日に赦免され、寛永17年(1640年)10月15日には将軍徳川家光に拝謁している。慶安2年(1649年)3月9日、39歳で死去。麻布の祥雲寺(のち渋谷に移転)に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有馬頼次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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