翻訳と辞書
Words near each other
・ 有馬頼僮
・ 有馬頼元
・ 有馬頼利
・ 有馬頼咸
・ 有馬頼善
・ 有馬頼寧
・ 有馬頼底
・ 有馬頼徳
・ 有馬頼徸
・ 有馬頼旨
有馬頼次
・ 有馬頼永
・ 有馬頼端
・ 有馬頼義
・ 有馬頼萬
・ 有馬頼貴
・ 有馬香
・ 有馬馨
・ 有馬駅
・ 有馬高校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

有馬頼次 : ミニ英和和英辞書
有馬頼次[ありま よりつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [う, ゆう]
  1. (n,vs) possession 
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

有馬頼次 : ウィキペディア日本語版
有馬頼次[ありま よりつぐ]

有馬 頼次(ありま よりつぐ)は、江戸時代前期の武士。筑後久留米藩主・有馬豊氏の三男〔『寛政重修諸家譜』巻第四百七十〕。分家して駿河駿府藩主の徳川忠長に仕え、1万石を給された。
== 生涯 ==
元和3年(1617年)、7歳で将軍徳川秀忠に初謁。翌、元和4年(1618年)に徳川忠長に付けられた。その後忠長のもとで1万石を給され、寛永5年(1628年)には従五位下加賀守に叙された。しかし、寛永9年(1632年)に忠長が改易されると、頼次も勘気を蒙り、父の豊氏に預けられた。
寛永13年(1636年)12月10日に赦免され、寛永17年(1640年)10月15日には将軍徳川家光に拝謁している。慶安2年(1649年)3月9日、39歳で死去。麻布の祥雲寺(のち渋谷に移転)に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「有馬頼次」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.