|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 有 : [う, ゆう] 1. (n,vs) possession ・ 馬 : [うま] 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) ・ 端 : [はし] 【名詞】 1. end (e.g., of street) 2. edge 3. tip 4. margin 5. point
有馬 頼端(ありま よりなお〔)は、筑後久留米藩第8代藩主・有馬頼貴の子。世嗣と定められたが、家督を継ぐことなく没した。 == 生涯 == 安永8年6月27日(1779年8月9日)〔『平成新修旧華族家系大成』上、p.60〕〔篠原(1981年)、p.53〕、有馬頼貴の三男として出生〔〔(夭折した男子が一人いるため、四男と記されることもある〔)。母は高木氏〔〔篠原(1981年)p.571〕。 兄の頼善が狂気によって廃嫡されたため〔、寛政5年(1793年)3月25日、父頼貴の嫡子となる〔〔篠原(1981年)p.53では、「3月28日」としている〕。同年9月15日、将軍徳川家斉に拝謁する〔。同年12月26日、従四位下上総介に叙任する〔。 しかし、家督を継ぐことなく、文化元年(1804年)12月22日に没した〔〔篠原(1981年)p.572によれば、これは届け出上の日付で、実は12月16日没という〕。享年26〔。 頼端の死により、頼端の長男の新太郎(のちの有馬頼徳)が久留米藩の嫡子と定められた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有馬頼端」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|