|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 服 : [ふく] 1. (n,n-suf) clothes ・ 夫 : [おっと] 【名詞】 1. (hum) (my) husband
服部 則夫(はっとり のりお、1945年(昭和20年) - )は、日本の外交官。ベトナム駐箚特命全権大使などを歴任した。 == 経歴・人物 == 福井県福井市出身。1968年(昭和43年)東京大学法学部を卒業し、外務省入省。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)までフランス共和国に留学しフランス語研修を受ける。1975年在フィリピン日本国大使館一等書記官、1977年在ジュネーブ日本政府代表部一等書記官、1980年外務省経済協力局政策課企画官、1983年外務省外務大臣官房国内広報課長、1985年外務省欧亜局西欧第一課長、1986年在中華人民共和国日本国大使館参事官、1989年在フランス日本国大使館公使、1990年外務省経済協力局審議官、1996年在インドネシア日本国大使館公使、1997年在インドネシア日本国大使館特命全権公使、1999年外務省軍備管理・科学審議官(大使)、2001年(平成13年)外務報道官、2002年(平成14年)から2008年(平成20年)まで、ベトナム駐箚特命全権大使を務めた。2008年OECD(経済協力開発機構)日本政府代表部大使・常駐代表を務め、2010年(平成22年)退官〔 〕。退官後は、ベトナム、インドネシアなどアジア各国との経済・文化交流を行うために2010年に「オフィス・ハットリ」を設立し代表を務めている。また、ハイフォン市特別顧問、NPOアジア失明予防の会副理事長、一般財団法人日本留学支援機構特別顧問、特定非営利活動法人放射線医療国際協力推進機構特別顧問を歴任。ベトナム国家最高位の友誼勲章を受章している 2002年(平成14年)外務報道官のときに、瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件では、阿南惟茂駐中国大使が北朝鮮の亡命希望者を「追い返せ」と発言していた問題が報道され、外務省幹部会で、アジア大洋州局の幹部を怒鳴りあげたエピソードがある〔 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部則夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|