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服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-2000年6月29日)は広島県世羅郡世羅西町(現在世羅町)出身の陸上(長距離走・マラソン)選手。身長179cm、体重59kg、血液型A型。 == 略歴 == 男子陸上競技界では名門の広島県立世羅高等学校を卒業後、1989年カネボウに入社。カネボウ陸上競技部に所属。当時の監督は就任したばかりの伊藤国光。当時の部員に高岡寿成、早田俊幸らがいる。 1995年2月、別府大分毎日マラソンでマラソンデビュー。成績は2時間17分15秒の12位。 1996年2月、東京国際マラソンで8位入賞、2時間12分41秒。 着々とタイムを上げていく。 1997年2月、東京国際マラソンで、旭化成の川嶋伸次・谷口浩美を抑え、レース後半はトップを独走。 終盤、NTT西日本(当時はNTT中国)の清水康次が迫り、首位争いを演じたものの、後半の上り坂で失速。 惜しくも清水に首位を明け渡したが、自己最高順位の2位入賞を果たした。このときのマラソン記録も自己最高の2時間10分21秒をマーク。 マラソン競技デビューから4戦目で、同1997年8月開催の世界陸上アテネ大会の男子マラソン日本代表に選出。 アテネのレース本番では猛暑による悪コンディションで日本代表チームのペースは軒並み上がらず、日本人最高位の真内明2時間21分23秒 22位、川嶋伸次 2時間22分33秒 25位、花田勝彦2時間25分00秒 34位、服部は2時間26分33秒 40位。東京国際マラソンで首位争いをした清水康次は2時間37分11秒で58位だった。 翌年1998年2月の東京国際マラソンでは2時間17分20秒の17位。 記録の伸び悩みもあり、この後カネボウ陸上競技部を退部。本格的なマラソン競技から引退。 2000年6月、山陽自動車道、玖珂インターチェンジの出口ランプで交通事故に遭い、夭折。28歳の若さだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部孝宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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