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望月百合 : ミニ英和和英辞書
望月百合[もちづき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

望月 : [もちづき]
 【名詞】 1. full moon 
: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
百合 : [ゆり]
 【名詞】 1. lily 
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 

望月百合 ( リダイレクト:望月百合子 ) : ウィキペディア日本語版
望月百合子[もちづき ゆりこ]
望月 百合子(もちづき ゆりこ、1900年9月5日 - 2001年6月9日)は、日本評論家
山梨県南巨摩郡に生まれる。本名、古川百合。南巨摩郡鰍沢町長知沢(現・富士川町長知沢)の望月家の養子となる。1907年4月には山梨師範付属小学校へ入学する。上京し、成女高等女学校(現・成女学園中学校・成女高等学校)入学。卒業後、校長の宮田脩の紹介で読売新聞社に入社し婦人記者となる。1921年よりパリ大学に国費留学、アナーキスト石川三四郎の影響を受け、1925年3月の帰国後はアナーキストとして活動した。同年には山梨県出身者の文学者を中心に「山人会」を結成した。1928年長谷川時雨の『女人藝術』の創刊に加わり論文を発表〔池田、1994、p34.〕。
1930年に『婦人戦線』を創刊し、ともに『ディナミック』の編集にあたっていた古川時雄と結婚した〔。ただし、この時点では未入籍であった〔池田、1994、pp51-52. 〕。1989年、一足先に満州国へ渡っていた古川を当時の新京(後の長春市)に訪れ、そのまま『満洲新聞』の婦人欄・学芸欄記者となり、定住する〔池田、1994、pp45-46. 〕。古川とはこの時期に入籍した〔。
敗戦後も現地に留まり、1948年に北京経由で引き揚げた〔池田、1994、p50. 〕。
戦後は翻訳に専念した。1988年には山梨県立文学館建設懇話会委員長に就任し、山梨県立文学館設立にも携わる。1994年には現在の富士川町に所在する大法師公園における竹久夢二歌碑設立にも尽力している。同年には古川時雄が死去する。
1996年には鰍沢町名誉町民となる。1999年には、山梨県南巨摩郡鰍沢町(現・富士川町)に「望月百合子記念館」が開館した。
==著書==

*大陸に生きる 大和書店 1941
*限りない自由を生きて ドメス出版 1988.3

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「望月百合子」の詳細全文を読む




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