翻訳と辞書
Words near each other
・ 朝凪鈴
・ 朝刊
・ 朝刊 (グレープの曲)
・ 朝刊さくらい
・ 朝刊フジ
・ 朝刊休刊日
・ 朝刊特別版
・ 朝加真由美
・ 朝勃ち
・ 朝千鳥亀太郎
朝原内親王
・ 朝原宣治
・ 朝原雄三
・ 朝参り
・ 朝吹まり
・ 朝吹ケイト
・ 朝吹三吉
・ 朝吹亮二
・ 朝吹南
・ 朝吹常吉


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

朝原内親王 : ミニ英和和英辞書
朝原内親王[あさはらないしんのう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内親王 : [ないしんのう]
 (n) imperial or royal princess
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

朝原内親王 : ウィキペディア日本語版
朝原内親王[あさはらないしんのう]

朝原内親王(あさはらないしんのう/あしたはらないしんのう、宝亀10年(779年) - 弘仁8年4月25日817年5月14日))は、桓武天皇皇女。母は酒人内親王伊勢斎王、のち平城天皇

== 生涯 ==
延暦元年(782年)8月1日、4歳で斎王に卜定、同4年(785年)4月23日に造斎宮長官が、7月21日に斎宮寮頭賀茂人麻呂が任命され、8月24日に旧都の平城京で発遣の儀式を執行、9月7日、賀茂人麻呂や斎宮内侍従五位下・藤原栄子、その他乳母女官たちに付き添われて伊勢へ下向、9月15日に斎宮に到着した。なお内親王のこの下向は、発遣の儀に桓武天皇が長岡京から平城京へ行幸したり、大和国国境まで天皇と百官が見送るという異例のものであった。
延暦15年(796年)2月15日、斎宮で斎王解任のための奉幣使が立てられ、3月15日には平安京から内親王の帰京を求める奉迎使左少弁兼左兵衛佐・橘入居が差遣され、これにより身内の不幸がなかったにも関わらず18歳で退下、帰京している。帰京後の7月9日、桓武天皇の皇女たちのなかでは最初に三品に叙せられた。12月14日には桓武天皇が京中巡幸の途中、内親王邸を訪ねて、従五位以上の人々に物を賜った。のち異母兄の安殿親王(後の平城天皇)に嫁いでいるので、斎王の解任はこの結婚のためであると推定されている。
延暦17年(798年)9月19日、越後国の田地250を与えられた。大同元年(806年)3月17日に桓武天皇が崩御、5月に平城天皇即位すると、それにともない妃となる。その後、平城天皇が大同4年(809年)4月に弟・嵯峨天皇譲位、翌5年(810年)にはいわゆる「薬子の変」が起きたが、内親王は平城上皇とは行動をともにせず、弘仁3年(812年)の5月、異母姉妹の大宅内親王と揃って妃の位を辞している。
弘仁8年(817年)4月6日に病に臥し、嵯峨天皇が遣わした6人のたちが病気平癒を祈ったが、4月25日、39歳で薨去した。その遺言は、春に父・桓武天皇のために大般若経を、秋に母の酒人内親王のために金剛般若経を唱えさせるために、自らの所領地を東大寺施入するという内容であったため、それに従い翌弘仁9年(818年)3月27日に母酒人内親王から東大寺へ、大般若経と金剛般若経等が奉納され、美濃国厚見庄越前国横江庄越後国土井庄墾田等が施入された〔「酒人内親王家御施入状」(正倉院文書)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝原内親王」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.