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朝日新聞の慰安婦報道問題(あさひしんぶんのいあんふほうどうもんだい)とは、朝日新聞による慰安婦報道に関する問題。 == 経緯 == === 吉田清治と朝日新聞 === 1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称する吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令で済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。 朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。 さらに吉田は1983年7月に済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版。同1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、土下座した。 1983年11月10日朝日新聞朝刊3面「ひと」欄で吉田の謝罪碑活動を紹介した。歴史家の家永三郎も吉田の著作を賞賛した〔『戦争責任』岩波書店、1985年、p104〜107,p241〕。 1989年に吉田の著書が韓国で翻訳されると、済州島の済州新聞は1989年8月14日に許栄善記者による記事を掲載、そこで済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」と批判した。また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、数年の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したとし、吉田の本は「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と批判した〔。 1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言した〔第118回国会 予算委員会 第19号 〕ことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成、海部首相へ公開書簡をおくった〔高崎宗司 『反日感情』 講談社現代新書、p130〕。なお秦郁彦は、吉田証言が挺対協の起爆力となったとしている。また元慰安婦の金福善は吉田証言をきっかけに名乗り出たと証言している〔柳原一徳『従軍慰安婦問題と戦後五十年』藻川出版、1995年,p39〕。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件など)が多数行われた。 1992年3月に歴史家の秦郁彦が済州島で現地調査を行い、城山浦の老人が「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」という証言を得たり、済州新聞の許栄善記事を発見し、吉田証言には根拠がないことを産経新聞1992年4月30日、『正論』1992年6月号に発表した。その後、1996年に吉田は「本に真実を書いても何の利益もない」と事実と創作を混ぜて書いたと述べた〔「週刊新潮」1996年5月2・9日号 〕〔「諸君!」1998年11月号 〕。朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載したが、訂正記事は出さなかった。 李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない〔。また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠として採用されている。 2012年9月5日にも朝鮮日報は吉田の手記を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分」と主張した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝日新聞の慰安婦報道問題」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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