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朝明 重男(あさけ しげお、1914年3月25日 - 1946年8月25日)は、三重県三重郡川越村(現・川越町)出身の大相撲力士。本名は山本 重男(やまもと しげお)。 == 来歴 == 1914年3月25日に三重県三重郡川越村(現・川越町)で生まれる。1931年3月場所に本中で初土俵を踏むと、体重の軽さから重量力士との勝負であっさり敗れるなど、なかなか関取へ昇進できなかった。その欠点を激しい猛稽古で補って、1938年5月場所で念願の十両昇進を果たした。しかし、連日の猛稽古によって腰を負傷し、さらに負傷による自信喪失によって闘志が無くなったこと、それに追い打ちをかけるかのように新十両の場所で瞼を負傷して途中休場、一場所で幕下へ陥落した。1941年5月場所でようやく十両に復帰するが、以降は成績が伸び悩んだ。1943年5月場所に、四股名を朝明山から「朝明」に改名した。〔相撲人名鑑(朝明 重男) 〕 非常に縁を担ぐ性格で、部屋から国技館まで徒歩4分ほどだったが、負けると同じ道は絶対に通らなかった。やがて負けが続いたことで通る道が無くなると、国技館と反対の方向に向かって歩き出して大きく迂回したり、同じ道でも歩く速さを抑えて30分かけて向かったら十両土俵入りに遅刻した。さらに、初日の前日の夜は「15日間勝つように」との意味合いで、枕元に塩の山を15個作って寝ていた。 1946年8月25日、岐阜県での巡業中に連日の猛暑に耐えかねて木曽川で遊泳していたが、心臓麻痺を起こして急死した〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝明重男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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